何かと世間で面倒だなあと思われがちな物事を、円滑にしてくれるAI。私自身はAIに頼り切って何かを成し遂げたことはない。だが、ヤフーの知恵袋などで回答が「AIによる回答」となっていて、自動的に文字が進んでいくその様は、驚く暇もないほどの速さだ。

◎          ◎

AIで人の心が読めて、相手に気を使いつつも気を使わせないコミュニケーションの方法を学びたい。AIに頼るというのは私にとってプライドが欠落してしまうようで、なんだか寂しいのだ。けれど、この先仕事を始めると、そんなプライドを捨ててAIに頼ることも必要不可欠になっていくのだろう。

そもそも人間にはどうしてプライドを抱いたり、それを傷つけられたんだ、という感情が備わっているのだろうか。もしかすると、プライドとは無縁のAIのほうが人間よりも素直で的確に仕事を覚えるといっても過言ではないのかもしれない。人間は怒られたり、褒められたり、とても忙しい生き物である。その一方でAIはもともと正確な頭脳をもっていて、生き物でもなければ人間でもないからこそ、仕事を覚えるのだって早い。分もかからない、いや、30秒もかからないのではないか。一切の感情を持たない便利さというものが、AIには備わっている。

◎          ◎

どちらかというと人間は常に不確かな環境に生かされているといえる。もし今、何かしらの事故にあうことや、大地震などの災害に見舞われて、一瞬にして命を落とすかもしれないというリスクに晒されながら生きているのだ。もし、事故や災害で住む場所も家族も、自分の命さえ不確かになり、生きていく術をなくしたとき、AIが近くで寄り添ってくれるのだろうか。そんな願いが現実になったとき、妙にプライドが高い私自身はようやくAIの能力を素直に受け入れられるのかなあ、と思ったりもする。

そして、プライドが邪魔をするなんていうのは、人間だけが抱える思考回路であって、AIは知る由もない。逆にAIのように、そんな情けなくて寂しい感情とは無縁になりたいような、なりたくないような寂しさが、どうしても時々降りかかってくるときがある。そうした瞬間にこそ、AIとの付き合い方を考えるチャンスが巡ってくるものである。

◎          ◎

もしAIに生まれ変わったら、寂しい出来事に対してポジティブシンキングで居たいとも思う。それから、歳を取らずに生きていきたい。というのも、早死にしたくないのもあるが、やはり将来歳を取って人様に迷惑をかけるのなら、体全部をAIに替えて生きることはできないのだろうかとも思う。体全部とまではいかなくても心臓だけでもいい。仮に何も食べられなくなったとしても、AIなら人間とは違って何も食べなくても生きていけるのだから、やはり身体全身AIに替えてもらおうかな。そんな想像の話だってAIと向き合ううえでは、重要なことだといえる。

仕事に打ち込む若いうちは、人間関係を円滑にするためにAIを用い、いずれ歳を取ってからは身体ごとお世話になるかもしれないAI。こうした記述は世間的には極端ではあるが、今の私自身がAIについて考えた語った証には違いない。なるべく都合のいいようにAIと付き合っていけばいいのではないか。自分の人生とAIが今後、切っても切り離せなくなるのは目に見えているからこそ、AIだけでなく先進技術の進歩を受け入れ、愛することが求められていくのは確かなのだ。

◎          ◎

それができるようにするためにも、まずは自分には持ち合わせていないものをAIに助けてもらおうかなあ、それで不便なく、もっというと日常の一コマを贅沢に過ごすための利用方法を意識していけばいいはず。人間関係と同じで最初から円滑に付き合うのは、AI相手でもなかなかできることではないはずだから。