中学3年生の頃、体調が優れない時期がありました。
受験生というプレッシャーからなのかなんなのか毎朝どこかしら体調を崩していました。大遅刻の日々。

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ある朝集会があって、その日も遅刻してしまいました。大慌てで遅れて体育館に入りました。その中で遅刻の話になり、「今日遅刻した人は立ってみなさい」と言われました。
私はすぐに立ち上がりました。すると横にいた先生に「体調が悪いなら座りなさい」と言われましたが、「大丈夫です」と立ち続けようとしました。
しかし、先生は本当に心配してくださっていたようで一生懸命座るように促してきました。
そこまで言うならと腰を下ろしてそのまま話を聞き、集会は終わりました。

その後、腹痛がしてきたので保健室へ行きました。
すると保健の先生が「朝の集会、遅刻をしたのになんで立たなかったの?立てないくらいお腹が痛かったの?違うよね?それは甘えじゃない?良くないよね」と注意をしてくれました。
私は反論するのは言い訳みたいでカッコ悪いし先生の言っていることは正しかったので特に何も言うことが出来ずに涙をこらえていました。

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今でも思い出して恥ずかしい、悔しい気持ちになりますが、最近になってああ、私は見ていてほしかったんだなと思うようになりました。
結果のみではなく過程。つまり一部始終を見てから私が本当に甘えていたのかどうか判断してほしかったのです。勿論生徒は沢山いるのでそれが難しいことはわかっています。

だけどそれならせめて「どうして立たなかったの?」と聞いてほしかった。
私はまだ「甘えている生徒」のままだろうかとたまに思います。

今だから、言えるなら、言いたいんです。あのとき私は立ったんだよって。ちゃんと見ててよって。あまり大したことではないのかもしれないけれど私はあれから「甘え」という言葉が大嫌いになりました。気にしすぎる私にとっては充分トラウマになりうる事件でした。

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それでも、経験を活かすということになるのかは分からないけれど、私はあれから決めつけることをしないように気を付けています。人との会話では特に。ですが無意識に決めつけていることに気づいて後悔してしまうことがあります。気を付けていても完璧には行かないもの。言われなければ気づかないこともあります。

決めつけないでよって昔は沢山思っていましたが、決めつけないことがどれだけ難しいことか今になって分かりました。

何が言いたいか分からなくなりそうですが、見ててほしかった。決めつけないでほしかった。けれどあの出来事のお陰で成長できた。

今だから、嫌味や愚痴ではなく感謝もでてくるのかな、と思います。

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そんな出来事のせいで書き消されてしまっていましたが保健の先生はとても優しくていい人でした。いつも笑顔で、生徒のために叱ってくれるし、私も沢山お世話になりました。

私も沢山の苦しい場面を乗り越えて少しずつ先生みたいな、いいえ、先生よりも。優しい大人になっていけたらいいなと思います。