肉体の限界に挑み表現し続ける。AIを凌駕するダンサーの真骨頂

AI技術の発達はめざましく、人間の代わりにリサーチや翻訳、会議の文字起こしをしてくれたり、ネットショッピングの助けになってくれたりと、今や私たちの生活に欠かせないものになりつつある。私が身を置いているダンス業界においても、それは例外ではない。
SNSを眺めていると、あるダンサーが動画生成AIを使って自身のダンス動画をアニメ風に加工して投稿していた。あるいは、アニメキャラクターや歴史上の人物にダンスを踊らせている動画も見たことがある。
最近ではAIを活用したダンスレッスンや、ダンス動画を解析して評価やフィードバックを受けられるサービスなどもあるらしい。
そのどれも使いこなせていない私には身近ではないにしろ、ダンサーの技術向上やSNSプロモーションにAIが寄与するということは実際にありえるのだ。
現実的には、AI生成したダンス動画は動きがぎこちないものが多く、そのクオリティはまだまだ発展途上だ。けれど近い将来には人間と区別がつかないほどリアルで迫力あるダンス動画を生み出せるようになるだろうし、AIの活用が進めば「ダンスが上手いこと」がダンサーの条件ではなくなるかもしれない。
それでも、AIにダンサーという職業が取って代わられることはないと考える。当事者として、そう信じたい。
ダンサーの身体表現をAIが学習し、動画生成でそれを再現することはもはや不可能ではないのだろうけれど、AIが“踊れる”ようになればなるほど、それを繰り出す生身のダンサーの身体能力や表現力が浮き彫りになるように思われるのだ。バレエのグラン・フェッテや、アニメーションダンスのストロボ、私が踊っているトライバルフュージョン・ベリーダンスにおいてはフラッターシミーとかだろうか。
もはや“凄み”を感じさせる各ダンスのプロフェッショナルの領域には、現在のAIでは簡単に到達できまい。
とりわけAIにとって再現が難しいと思うのは、プロダンサーがステージで見せる「ハプニングへの対処」だ。私自身も経験があることだが、どれほど丹念に準備をしても色々な要因で本番直前に、あるいは本番中に予想外の事態が起きて冷や汗をかくことがある。衣装や音響のトラブル、小道具の不具合、体調不良、何かの拍子に振り付けの記憶が飛ぶなど、「ステージには魔物がいる」という言葉に首肯せざるを得ないほど枚挙にいとまがない。
何が起こっても、よほどのことがない限り私たちは観客を不安にさせず“踊り切る”ために舞台上で全力を尽くすのであるが、そこにダンサーとしての経験値や力量が色濃く映し出されるように思う。パフォーマンス中にハプニングに見舞われても涼しい顔で対処する機転や、動揺を少しも感じさせない所作の美しさ。痺れるようなプロフェッショナリズムを感じずにはいられない。
そんなとき極限まで研ぎ澄まされるダンサーの集中力と、呼応して沸き立つ観客。そのどれもがどうにも人間臭く、人工知能とは一線を画している。
表現者である私たちダンサーは生身の人間だ。誰ひとり同じではなく、過去の自分とも同じパフォーマンスをするのは不可能で、そもそも心体のコンディションだって一定じゃない。予想外のことが起きて慌てたり、ときには失敗して落ち込むことだってある。
それでも、みずからの身体で音楽を表現したいという欲求に抗えないこと。己の肉体の限界に挑み、感動で空間を満たしてゆくこと。ダンスを愛してやまないこと。AIを凌駕し続ける、私たちダンサーの真骨頂だ。
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