AIに感じる冷たさ。技術に頼りすぎない私たちの生き方を探したい

AIは急速に発達しており、近い将来、多くの仕事がAIに取って代わられるという話も聞く。
私がハッとして、妙に納得できてしまったのは、AIモデルだ。AIを使って本物のモデルを起用したときとほとんど変わらない広告を作って世の中に出すことが可能になった。駅や街の広告ポスターを見ると、きれいなお姉さんなのにどこか虚無な印象を覚えた事がある。それがAIモデルを起用した広告だった。隣や周りには、これまで通り、モデルを起用した広告があり、人間味というか、安心感がある。感覚的なことにはなるが、静止画のなかに動きが見えるような気がする。AIモデルにはそれが感じられなかった。
確かに、AIモデルを用いるメリットはたくさんある。
制作のスケジュールに柔軟に対応できる。モデルを選ぶ時間がいらない。モデルに払うお金もなくせる、結果的に安く広告を作れる。人に限りなく近づけているので、従来の広告と同じような効果が期待できる。
素人が考えてみただけで、ここまで多くのメリットが見つけられるのだから、実際はもっと多くメリットがあるのだろう。AIに代替しても減るものがないのなら、変えたほうがかなりコスパがいい。納得できる。
ただ、すぐに作られたものだとわかってしまうだろう。AIは静止画としては高性能かも知れないが、動きをつけるとぎこちなさが露呈する。3Dアニメーションのような不自然さがある。私はどうしてもその違和感が苦手で、ちゃんと人が動いたほうがすんなりと受け入れられる。特に、口の動きだ。何かを喋るとき、妙に硬い口の動きがある。無理やり口を動かしたのだろうと思える動きだ。体の動きもなかなかぎこちない。関節を使った動きではなく、パーツごと、全体がカクカクと動いているような印象だ。滑らかさを加えようとするとさらに違和感は大きくなる。
であれば、お金をかけてでもモデルに依頼をして撮影したほうが、求めている動きに柔軟に対応できるだろう。受け取る側も不自然さを感じずに済む。広告として情報が入ってきやすい。
世の中はこれからさらにAIを使って仕事をするようになる。最新技術、テクノロジーを駆使した、などと理由をつけて。もちろんすべてを否定するわけではない。頼ったほうが良いところはあると思う。しかし、人そのものを使う仕事に関しては、違和感やぎこちなさが残ることを知っておくべきだとも思う。本当にAIモデルに置き換えてよいのか、人間が醸し出す安心感や信頼などを利用してもいいと思う。
楽だから、コストカットできるから、と言ってすべてを計算上の世界にいれるのではなく、人との共存ができる関係値を築き上げてほしい。人間が仕事をしている意味や、人間にしかできないことは必ずある。今起きかえられてしまいそうな仕事でも、人間だからできていることもあるだろう。仕事を奪われ、失くし、路頭に迷う人も出てくる。AIの普及は、これが目標や糸ではないはずだ。頼れるところは頼っても、私たちができることはこれまで通り続けられると良い。お互いがいいところを発揮できる場をつくりながら、AIも発展させていく。これが、私が考えるAIとの正しい付き合い方だ。
某アニメに出てくる近未来的な世界より、人との協力があって成立する世界の方が私には魅力的に見える。革新的な技術も人の手によって成長できるなら、すべてを取って変えなくてもいいはずだ。人が人の居場所をうばってどうするのだろう。程よく頼って、仕事の効率を上げながら仕事ができれば、私たちの働き方を良い方向へ変えられるとも思う。今をよくできるAIの使い方が、理想とするAIとの付き合い方だ。私の理想を叶えられる方法はあるのだろうか。これから少しアンテナを張って過ごしてみよう。
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