逃げて、ちょっと休んで、それで周りの人に還元出来たらそれでよい

休職する人っていうのは、目の前の辛いことから逃げているんだと思っていた。目の前の嫌なことから目を背けて、投げ出す。ちょっと根性足りないんじゃないの、くらいにしか思っていなかった。
社会人2年目の春、久しぶりに大学の友人に会うと、その中の1人が「私今休職してるんだよね~」と言った。それを皮切りに「私の同僚も……」とか「うちの会社でも多いな~」という休職トークに。
へー、メンタル弱って休職する人って多いんだ……。と、正直その時はあまりピンと来なくて。周囲の人間関係には恵まれている方だったし、上手くやるのも得意だったから、ほとんど他人事だと思っていた。
詳しく聞くと「チーム内の人間関係が上手くいってない」とか「上司からパワハラされて」とか、やはり私が所属する組織の中ではピンとこないエピソードばかりだった。なおさら他人事のように感じた。
それから数か月後、それは突然やってきた。私の身近にも、モンスターが。
3つ上の先輩で、年も近いからと同じチームで仕事をすることが多かった。最初は「ちょっと合わないかも?」と感じていた小さな違和感が、時間を経るごとに段々と大きくなり、嫌悪感に。
この人とは一緒に仕事ができない。でもやらなきゃいけない、人の好き嫌いで部署の人たちには迷惑はかけられない、けれどあの人に会わなきゃいけない。会社に行かなきゃいけない、駅からオフィスに向かわなければ、ベッドから起きなければ。
最初はちょっと「ベッドから出たくないな~」くらいの気持ちだったのに、だんだんと駅から会社に向かうまでの足取りが重くなり、通勤ラッシュの人たちに隠れて、下を向いて、泣きながらオフィスに通っている自分がいた。ふと我に返った時、「もう辞めよう」と思った。
そんな時、春に会った大学の友人を思い出したのだ。そういえば彼女も「休職している」と言っていた。あの時はピンとこなかったのに、少しは彼女の気持ちが分かるようになった気がする。
No pain, no gainとはこのことか。一旦、休んでみたい。目の前のことから逃げ出したい。そう決意してからは諸々の手続きが淡々と進んだ。休職って、こんなにシンプルに物事が進むのか。休みに入るまでとてもスムーズだった。何だか虚しいくらい呆気なかったが、あの時の「逃げられる」という安心感は今でも覚えている。罪悪感は全くなかった。
心療内科で病名を付けられるのは(私は適応障害と言われたが)、結構ウッとなる経験であるが、私はこれをマイナスに受け取っていないし、もし後ろ向きになっている人がいたら決してネガティブに捉えないで欲しい。
だって、休職したのも、適応障害になったのも、全部全部人生にとって必要な経験である。全部経験しないと、同じ境遇の人たちの気持ちが全く分からないじゃないか。むしろ、同じ境遇の人たちの気持ちが少しでも分かるようになった、と思えばプラスな出来事。
逃げたいのなら、逃げて欲しい。そこにも得られるものは必ずある。逃げて、ちょっと休んで、それでまた周囲の人に還元出来たら、それでよいのだ。
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