休職は選択肢。してもしなくても、腑に落ちる人生を送ることが大切

「休職をしてもしなくても、腑に落ちる人生を送ることが大切」
これが私の伝えたいことだ。
私は幼い頃から、人とのコミュニケーションに極度の恐怖を感じやすく、自分の感情を抑え込む癖があった。自分の意見をしっかり持っているのに、それを表に出せず、「こんな感情を持ってはいけない」と考えてしまう。そんな思考の癖のせいか、体調を崩しやすい子どもだった。
社会人になり、抱える課題が増えるにつれて、この癖がさらに悪影響を及ぼし、私は2回の休職を経験した。
私の職業は看護師。親戚のおばの人柄に憧れて選んだ仕事だ。だが、看護の現場では感情をぶつけ合う場面も多く、ますます体調を崩しやすくなった。
休職を通じて、私は大きな葛藤と向き合った。
それは、
① 自分とは何者か。
② 自分はどう生きたいのか。
この2つの問いだった。
初めての休職は、精神科に通院しながらの10ヶ月間だった。当初、私はこの休職を受け入れられなかった。しかし、周囲の「ちゃんと休んだほうがいい」という言葉に押され、結果的に休職可能な期間をめいっぱい使うことになった。
傷病手当を申請すれば、さらに長く休むこともできたが、「これ以上休んだら、大好きな看護師をやりたくなくなるのではないか」「もうこんな苦しい休職は嫌だ。無理してでも働いてストレス発散したほうがいいのではないか」そんな思いから、10ヶ月の休職後、私は元の職場に復帰した。
この休職期間中に私は「感情を押さえ込まないようにする」ための特訓をしていた。しかし、それはとても辛いものだった。嫌なことや苦しいことが次々に蘇り、逃げ出したくて仕方なかった。だからこそ、仕事に復帰できたときは、特訓から解放されたような嬉しさがあった。
けれど、私は分かっていた。この特訓が中途半端なまま復帰することが、よくないことを。
案の定、現実は厳しかった。特訓と仕事の両立、診察の継続、新たな感覚を覚えながらの業務。同僚にはなかなか理解されず、病気を言い訳にしたくなくて相談もしなかった。その結果、意見を言えないたびに自分の弱さを痛感し、過去の嫌な記憶が蘇り、体調を崩す日々が続いた。
ふと、私は思った。
「私の人生、これでいいのだろうか」
そんな矢先、主治医と担当の心理士が退職した。さらに上司から「ちゃんと相談してね」と仕事のミスを指摘された。その瞬間、心のバランスが崩れた。
「やはり、自分と向き合うことと仕事の両立は難しい」
そう実感し、復帰から2年半後、私は2回目の休職を決意した。
それが、今だ。昨年10月から休職し、7年間勤めた病院を退職した。
だが、1回目の休職のときとは違う。今は、心が清々しく、スッキリした気持ちでいる。
「自分に合う働き方は、正社員ではない」
「休むことは恥ずかしいことではない」
そう言語化できたからだ。言語化できると、決断も早くなる。そして、自分の人生を納得した形で歩める。
ただし、この言語化には時間がかかる。私は2回の休職を経て、3年以上かけて自分なりの生き方を見定めることができた。
だからこそ、私は伝えたい。
「いろんな形をとってもいいから、自分の中で腑に落ちる人生を歩んでほしい」
そして、
「腑に落ちる人生を考えるための選択肢として、休職という手段があることを知ってほしい」
経済的な不安はあるかもしれない。だが、日本にはさまざまな福祉制度がある。それらをしっかり活用すれば、休職という選択肢も十分に成り立つ。
周囲の目が気になることもあるだろう。でも、自分で決めたことには、自信を持ってほしい。
なぜなら、自分の人生の主役は、ほかの誰でもない「自分」なのだから。
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