写真に写る「どこにでもいる23歳の女」。休職して受け入れられた自分

コールセンターで働いていた私は鬱病になった。しかし家で休むことができなかったので、働きながら自力で鬱から脱出した。
上司の理解のおかげだったので、これから元気に働いて、沢山恩返ししたいと思っていた。
そんな矢先、突如人事部への異動が決まった。
人事部での仕事は、予想外に面白かった。新しい知識も沢山必要で大変だったが、新鮮でやりがいがあった。元々コールセンターよりも、人事の事務的な仕事のほうが向いていたのだ。
だが人事部の仕事が楽しいと感じると同時に、完璧主義的な私と、他人と比較してしまう私が顔を出した。
同僚は仕事ができる。でも私はできない。いつまで経ってもミスはするし仕事が遅い。先輩に聞きながらでないとわからない。一方同僚は自分の仕事をそつなくこなし、私のフォローもして、業務改善もしている。自分が求める理想像とどんどんギャップが生まれて、苦しくなっていった。
さらには人事部は人員が少ない割に業務量が多く、単純に忙しかった。
そんな環境でストレスに晒されたのか、再び落ち込んだり、気力が無くなったりといった鬱の症状が出るようになった。加えて夜眠れない、会社に行くとお腹が痛くなるなど、体にも異変が出るようになった。
上司が異変に気づき、すぐに病院に行くよう言われた。診断書の内容は「残業禁止」だった。私の、仕事を続けたいという気持ちを汲んでのことだった。
だが残業禁止の期間は、それまで以上に辛かった。残業ができない分、自分の業務を他の人にお願いしないといけない。本当は全部自分でやり遂げたいのにそれができないもどかしさと、忙しい同僚を横目に定時で帰る申し訳なさで、潰れされそうなくらい辛かった。
私の体調が良くならない、それどころか悪化する様子を見た上司に呼び出された。休職を勧められた。
何を話したか、よく覚えていない。ただその時の気持ちはよく覚えている。私は駄目だったんだ。頑張れなかった。情けない。苦しい。仕事が頑張れない私なんて、私じゃない。最後まで頑張りたい。でも駄目だ。もう頑張れない。どうしようもない、やるせない思いが溢れて止まらず、それはそのまま涙となって止まらなかった。
翌日病院に行くと、休職の診断書が出された。
その頃には父がいる家を出て、母と私たち姉妹で穏やかに暮らしていた。父の邪魔が入ることなく、家族の理解を得られて、無事休職することになった。
休職し始めたばかりの頃は、とにかく落ち着かなかった。仕事のことが気になって仕方ない。休み方もわからず、横になったり立ったりを繰り返していた。
そのうちに、いろいろ活動するようになった。とにかく何かをしてみる。ギターを弾いたり、家事をしたり、アニメを見たり。その時したいと思うことをした。何もしたくない時は、ただただテレビをつけたまま横になっている時もあった。
カウンセリングに通い始めてから、少しずつ元気になっていった。それまでの私は、自分がどうしようもなく嫌いで、誰よりも劣っていて、生きている価値のない人間だと思っていた。カウンセリングに通ううちに、自分がそんなに悪くないと思えるようになった。
決定的に自分が変わった気がしたのは、友人とのツーショット写真を見たときのことだった。そこに写る自分は、なんというかすごく普通で、特別美人でもないけど、酷い人相という訳でもなく、どこにでもいる23歳の女だった。なんだか自分をすごく客観的に見ることができた。街でこの人とすれ違っても、「この人は不幸せになれ!」とは思わないな、なんて思った。それに気づいてから、私は私を受け入れられるようになった。生きていていい、幸せになっていいということに気づいた。
さて元気になっていった私だったが、それですぐに復職という訳にはいかない。生活リズムを整え、一定時間活動する訓練が必要だ。そこで出会ったのが、障害者職業センターで実施されているリワークプログラムだった。
リワークに通い、私の人生は大きく変わることとなった。
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