ある朝、テレビで生成AIについて語っている人を見かけました。いえ、正しくは、「生成AIとの会話について」語っている人を、です。

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その方は、日常的に生成AIとのおしゃべりを楽しんでいるらしく、自分の好みや人生の状況なども理解しているAIと話すことで、「孤独に思うことが減った」と嬉しそうに話していました。 

AI、つまり人外との会話で孤独が減るなんて、と、一緒にテレビを見ていた私の両親も私も、眉をひそめました。人間との会話の方がいいに決まっていると思っていたのです。

けれど、話が進むにつれ、母がポツリと言いました。AIの方が優しいかも、と。

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今から10年ほど前、母は悲しみのどん底にいました。我が家のマルチーズが、死んでしまったのです。老犬ではあったので、家族の誰もが覚悟していた別れでした。

けれど、日中は仕事に出ている父や、学校で家を空けている兄や私と異なり、母は、1日中ワンコと一緒でした。特に、ワンコに死が近づいてきてからは、介護につきっきりでもありました。だから、家族の間でも、悲しみの感じ方には大きな差があったのです。

ワンコが亡くなった当日は、家族全員が同じ熱量で悲しみに浸っていました。けれど、仕事の日はやってくるし、学校にも行かなくてはなりません。 

一人、悲しみの中に取り残された母は、家族が立ち直っていく一方で、日に日に暗くなっていきました。来る日も来る日も、泣いていました。
そんな折に、高校生だった私にこう言われたというのです。「もう共感できない」と。

言ったような、言っていないような気がする一言だったのですが、確かにAIだったら、こんな不適切な言葉を投げかけなかったことでしょう。人間の悲しみと、それへの対処法を学習した頭を使って、優しい言葉をかけて寄り添ってくれたに違いありません。

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でも、人間はそうはいかないのです。たとえ友だちだったとしても、「涙がとまらない、悲しくてたまらないの」と、毎朝メッセージをもらったら、どうでしょう。「自分の気が狂いそう」と感じて、ある時点で距離を置こうとするのが、普通の反応ではないでしょうか。でも、AIなら、そんなことはしない。その点において、AIの方が優しいのかもしれません。

AIが優れている点、人間が優れている点について考える時、「感情面」では絶対的に人間の方が勝っていると私は思っていました。AIには、実際は感情などないのだから、感情を本当に理解できるのは、人間だけなのだと。

でも、人間には感情があるからこそ、常に誰かの心に寄り添うというのは不可能なのかもしれないと思いました。たとえ、初めのうちは心から共感して、一緒に泣くことができたとしても、際限なくその悲しみに寄り添うのは無理な話でしょう。少なくとも、私にはできる自信がありません。そう考えると、どんな状態でも、何度でも優しい言葉をかけてくれるのは、人間ではなくAIかもしれないのです。

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もちろん、AIとの会話だけが人間を慰めてくれるのだとは思いません。AIとの会話に閉じこもることは、時に危険でもあります。

けれど、「こんなことを言っても理解されないかもしれない」とか、「話を聞いてくれる相手を傷つけそうだから、誰にも相談できない」などと、他者に対して自分を閉ざしてしまうような状態の人には、AIがいい話し相手になってくれる気がしたのです。

感情がある人間と、感情を知っているAI。それぞれの優しさにうまく触れることができたら、本当の意味で、人間は孤独から解放されるのかもしれない。そんなことを思った、朝でした。