わたしは、21歳で結婚をした。結婚することを決めた理由はただ一つで、一緒に人生を歩んでいきたいと思う人に出逢えたからだった。もちろん、それに「実家を出れる」とか付随した理由もあったけれど、他の誰かの期待に応えるためでも、社会のルールに従うためでもなかった。純粋に好きだったから、結婚をした。

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それなのに、結婚を報告した時、友達も、仕事先の人も、決まってわたしのお腹辺りに目を移した。「え?妊娠した?」と聞かれるのは、なぜなのだろう……。

どうして、結婚した女性には「妊娠」の質問が伴うのだろうか。どうして「結婚=子どもを産むこと」は、セットだと思われてしまうのだろう。

これから一緒に良いことも悪いことも乗り越えていける。そう思ったから、結婚したのに……未だに結婚した女性は「子どもを産むもの」だと、そんな意識がある気がする。

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「不妊治療」という言葉が浸透してきていて、産みたくても産めない人がいることが、どんどん世の中に浸透していった。そして、不妊治療を頑張る人=偉いという構図もどんどん、生まれてしまっている気がする。「不妊治療している人もいるからさ、あまり、子どもの話題出さない方が良いよ」

そう言っている人に、聞きたくなってしまう。産めない理由が、不妊じゃないことを、すこしでも考えたことはあるのだろうか……。

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「多様性」が叫ばれるようになった。男性や女性など性別の垣根を越えて、ひとりの人として、見ていきましょうという声が上がる中で、たった一つの疑問を感じてしまう。

トイレとか温泉とかは、どうなるのだろう?

男性は強い。ここで言う、男性とは生物学的に見た上での男性のことだ。男性の力は強い。わたしは、それを身を持って知った。昔、わたしは犯された。この話を、旦那以外は知らないし、その時はまだ、「犯された方が悪い」そんな空気が漂っていた。傷ついている時に、さらに自分を責められることが怖かった。だから、誰にも話せなくて、じわじわと心が壊れていってしまった。150cmちょっとのわたしは、男性の力に抵抗することなんて、出来なかった。自分の身体がどれだけ無力なのかを、思い知らされた。

「男性だから、女性だから」その声が、もう古いことを知っている。男性を好きな男性も、女性を好きな女性も、誰にも恋愛感情を抱かない人も、性的感情に不快感を覚える人も、みんなみんな幸せになって欲しいと思っている。それぞれが声を上げることで、どんどん世の中は変わっているし、少しずつ少しずつ変化しているようにも感じる。

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ただ、ただ、生物学的に見て、女性の方が弱い部分があることも、忘れないで欲しいと、切実に願う。こんなことを書くと、きっと男性は、女性に犯されても声を上げることすら出来ない……と言われてしまうのだろう。その通りだ。男性が弱さをさらけ出すことは、きっと女性以上に、勇気と強さが必要なのだと思う。無意識に、男性には強さが求められているから。

こうして書いていくと、どんどん社会からの無意識の圧力があるのだなと、その存在を改めて感じることがある。色んな人がいて、色んな個性があって、ひとりひとりが、もっと自由に生きられたら良い。そう思うのも、事実で、でも自由になればなるほど、きっと傷つく人も増えてゆくのだろうなと思う。こんな見方をしてしまうわたしもまた、男性=強くて怖いという色眼鏡でしか、世の中を見れないのだ。自分が経験したことでしか、善し悪しの物差しを測れないのだ。