生まれてきてくれてありがとう。そう伝えた親友への愛情を今、手放した

小学生の頃、私の住む田舎町に彼女が転校してきた。人見知りな彼女と誰にでも話しかける私はすぐ親友になった。これまで一度も転校したことがなかった私は、親友が教えてくれる外の世界を聞くのが好きだった。
中学生になると、親友が不登校になった。クラスが違う上に、部活に所属していた私と所属しない選択を選んだ親友とでは、一緒にいれる時間が以前より減っていた。それでも帰り道に親友の家により、プリントを届けるついでに2人で恋愛小説のここが良い、あそこが良いと話し、毎週末少ないお小遣いを片手にサイゼリアで何時間もおしゃべりをした。
高校生になると、私は全日制、親友は定時制の高校に進むこととなった。制服も向かう場所も違うけれど、スマホが普及していた事もあり、私たちはいつもお互いの存在を隣に感じていた。自由に使えるお金が増えた事で、活動範囲が広がり、何もかもが新鮮だった。
私が大学生になると、親友は正社員として働き始めていた。テストやバイト三昧の私をいつも優しく慰めてくれた。3ヶ月に一度は必ず会い、2人で瀬戸内海の砂浜をただひたすら走り、社会への漠然とした不安を叫んで、互いを安心させていた。
社会人になると、私は上京し、親友は地元に残った。それでも年に数回は旅行をし、仕事、結婚、出産、介護、転職など明確になった不安について夜が明けるまでお酒を交えながら、談笑した。
これから先、私たちはどんな進路に進もうと、いつもお互いが1番の理解者で、ずっと親友だと思っていた。
でも、私たちの間にはどうしても埋まらない価値観があった。それは自分自身を大切にすることへの価値観の違いだった。
17歳の頃、親友は家族から虐待を受けて育った事情を打ち明けてくれた。ある日突然、施設に預けられ親から引き離される恐怖を味わった事、再び引き取られたが、執拗に存在を罵倒され、兄弟や壁が殴られ蹴られる様子を震えて見ていた事、そしてそれは今も続いており、自分は他人に傷つけられないと不安になり、愛情を感じられない体質になってしまっている事だった。
私は彼女を抱きしめた。そのままで良いんだよ、生まれてきてくれてありがとう、大好きだよ、と伝えた。親友は泣いた。私も泣いた。
でも、私が親友にあげられる愛情だけで、親友の心の傷を癒すことは到底叶わなかった。
社会人になってから親友は、道ゆく人に突然暴力をふるったり、店員に暴言を吐いたり、自分の言う通りに振るわないと脅し、行動をコントロールしたがる人とのお付き合いを好むようになった。
私は親友が大好きだと言う彼氏達の事を一度も好きになれなかった。親友が幸せだと言っているのに、毎度親友を泣かせる彼氏に腹が立っていたのだ。
そして私はある日、親友に伝えた。
「ごめんね。私は親友が傷ついているのを見るのが辛いんだ。私にとってあなたはとても大切な人だからこそ、大切な人がこんな風に傷つけられるのが我慢できない。別れた方が良いと思う。お願い、大事にしてくれる人と付き合ってほしい、もっと自分を大切にしてほしい!」
親友は言った。
「酷いよ……大切にされた事がないのにどうやって自分を大切にしたら良いのか今さら分からないし、傷つけられても、好きなのに……なんで分かってくれないの……」
今思えば本当に残酷な事を私は言ったと思う。
そのままで良い、と私が17歳の親友に伝えたのに。傷つけられる事で安心を感じられると聞いていたのに。彼女は幸せだと言っていたのに。彼女の考え方や大切な存在を、私が否定したのだ。
私達はあの日以来、連絡を取らなくなった。
数年の月日が流れ、親友へ抱いていた愛情を手放した今、思う。
私も親友もしょせんは他人なのだと。
名もなき関係性ではない、という安心感と、そこに費やした時間が絆を強くしてくれると過信しすぎていたのだ。
親しき仲にも礼儀あり。
他人と自分の線引きはもっと大事にしたいと思う。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。