「中途半端な社会不適合者」そう否定して可能性を狭めていたのは私自身

「あなたは職場に務めるのは向いていないと思うよ」
学生時代に何人もの人から言われた言葉だ。気に入らない人がいるとその人の悪口を大声で話し、チームとして動く時も我先に休憩を取ってしまう。会話のキャッチボールを意識せずに猪突猛進に好きなことを話し続け、気付いたら自分が会話の中心になっている。
いや、誰も望んでいないのに私がそうさせてしまっている。それが他人に迷惑で、周囲を不快な思いにさせていることなど気付かない。しかし、「こんなマイペースなところも私の個性だ」と、周囲にかけている迷惑など分からず、何の悪気もなく反省もせず開き直ってしまう。
ここまで空気が読めないことから周囲は気付いていたのだろうが、私は重複する2つの障害を抱えている。ひとつはてんかん、もうひとつは自閉症スペクトラム障害だ。これらはともに精神障害であり、障害が重複していることから精神障害者福祉手帳2級の交付を受け、障害年金やその他の福祉サービスを受給しながら生活している。しかし、まだ進路を決定するのに重要な学生時代は、私の症状が手帳を取得するのに値することなど知る由もなかった。
「組織に属することを困難とするのは大幅に選択肢が狭まってしまう。でも、だからといってなんの福祉サービスにも引っかからない宙ぶらりんな存在だ」
自分を中途半端な存在だと卑下し、社会不適合者だと否定しながら生きてきた。確かにあの時のあの言動も、あの時のこの行動も空気を読めていなかった。一つ一つ振り返りながらどうしても話したい欲望を抑えきれず、あの時は恥ずかしかったなぁ。と、後悔と自責の念を往復する日々が続いていた。
そんな私も25歳となり、とうとう進路を決めなくてはいけない年齢にさしかかった。もうこれ以上両親に迷惑をかけることができないと、就職活動を初めてみるも捗らない。やっぱり普通に働くのは無理かなぁ。と、また自己否定を繰り返す。そして、一度目の就職活動は失敗に終わった。
ではもう一度。私は学生生活に終止符を打ち、2年後に再び就職活動を始めた。前回の反省点は、1.突然就活を始め、準備が足りなかったこと、2.受けた会社の中に、自分の能力に見合わない会社が含まれていたこと、3.面接時に猪突猛進に話し続けてしまったことの3点だ。就活期間中という限られた時間の中でスペックを格段に高めることは難しい。ならば、1.時間に余裕を持って準備を進め、2.自分の能力に見合った場所を受け、3.面接は穏やかな口調で挑むことで内定を得ることができるのではないかと考え、公務員に絞って就活をした。結果は複数内定し、第一志望の職場に内定をもらうことができた。
現在はその職場に就職して4年目になる。完璧とは言えないが、上述した他人を不快にさせる行動はしないよう常に意識しながら勤務をしている。まだ家は建てられないが、外車が買えるくらいのお金を貯めることもでき、何不自由ない生活を送ることができている。障害者手帳も取得し、年金の受給やその他の福祉サービスの利用など、以前よりも暮らしやすい日々を送っている。年金や障害者割引のようなお金の面よりも、支えられながら生きているという証が心の余裕へと繋がったように感じている。10年前の私からは想像できない姿だ。
「私は組織に属して働くことができない。かといって福祉サービスを受給することもできない宙ぶらりんな存在だ」
他人によってかけられた言葉によって自己否定をし、自分の可能性を大幅に閉ざし、殻に閉じ籠もっていた。他人の容姿や性格を批判する人もいるが、それこそ他人を軽蔑する目で見た色メガネであり、下らぬ視点だ。他人の可能性を大幅に制限させるこの色メガネの功罪は大きい。
しかし、行動に移し幸せを手に入れた今日、「自己否定をし、自分の可能性を狭めてしまったのは自分自身だったのかもしれない」という新たな気付きを得た。もし当時の私のように「どうせ私なんて」と自己否定をし、殻に閉じこもっている人がいたならば、周囲にどう言われようとその色メガネは外して大丈夫だよ。と、そっと背中を押してあげたい。
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