目の前の畑仕事に集中する時間が、自分の気持ちを取り戻すきっかけに

住宅営業職として約4年半働いた。お客様との打ち合わせはもちろん、間取り図や見積もりの作成まで、住まい選びのトータルコーディネートを担っていた。さらに、日々のミーティングや勉強会、不動産会社への訪問など、仕事に追われる毎日。契約が近づけば日付が変わるまで働くことも珍しくなかった。
それでも、お客様からの感謝の言葉や、完成した住まいを見て満面の笑みを浮かべる姿に、すべての苦労が報われる気がした。その喜びと達成感を求め、私はひたすら仕事に打ち込んでいた。しかし、努力が実を結ばないことも多く、契約不振による叱責やクレームに苦しむ日々が続いた。
失敗を挽回しようと必死に働き、さらにミスを重ねる。完全に負のスパイラルにはまっている自覚はあったが、「仕事で取り返すしかない」と立ち止まることを恐れ、走り続けてしまった。
焦りから細かいミスが増え、上司から「確認を徹底しろ」と注意され、チェックリストを作った。それでもミスが減らず、さらに確認作業に時間がかかる悪循環に陥った。ミスをするたび、「また怒られる」と恐怖が先に立ち、どう言い訳するかばかり考えるようになった。
感情を押し殺し、目の前の作業をこなすうちに、自分の気持ちがわからなくなった。仕事帰りの運転中、涙が溢れても、それが悲しいのか悔しいのかさえ分からなかった。
幸い、家族が異変に気づいてくれた。朝、洗面所で顔を洗おうとすると力が抜け、その場に座り込んで動けなくなる。退勤後、駐車場から出られず、ただ車の中でぼーっとする。そんな日が続いた。
人は理性と感性で成り立っている。しかし、仕事に追われると理性ばかり酷使し、感性が鈍くなる。私の場合、映画を見ても何も感じず、何を食べたいのかさえ分からなくなっていた。休みたい、逃げたいという感情はあったはずだが、「この仕事を終わらせなければ」という理性に支配されていた。
家族の説得でようやく休職を決意したものの、何もする気力が湧かない。そんな私を母が畑作業に誘ってくれた。7月の暑い夏、朝夕の水やりと雑草取りだけの単純作業。しかし、その時間が私の凝り固まった感性を少しずつ解きほぐしてくれた。
抜いても次の日には生えてくる雑草に、強い生命力を感じた。黙々と草を抜きながら、誰の評価も気にせず、ただ目の前の作業に集中する。その時間が、自分の気持ちを取り戻すきっかけになった。「今日は気分がいいからもう少しやろう」「今日は疲れているから少しにしよう」と、自分の感情を意識できるようになった。
仕事に追われていると、自分の感情が分からなくなる。立ち止まるのが怖かった。「一度休んだら、自分の居場所がなくなるのでは」と不安だった。でも、あのまま走り続けていたら、もっと怖い結末になっていたかもしれない。
ある知人に言われた言葉がある。「カーナビは現在地が分からなければ、目的地までの行き方を示せない。人も同じで、自分の現在地が分からなければ、これからの生き方も見えてこない」。
今、自分の気持ちが分からないのなら、それは「立ち止まるべき」という合図なのかもしれない。感情は自分にしか分からない。それを失ってしまったら、人はただの作業ロボットになってしまう。
だからこそ、どうか自分の感情を失ってしまう前に、休んでほしい。
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