コロナ禍によって広まったリモートワークが広げてくれた選択肢

リモートワークの恩恵をこれでもかと受けている。リモートワークができるか否かは、私にとっては人生すらも揺るがしかねない。
と、いうのは、私は難病を抱えており、「出勤」というものに大きな負担を感じているからだ。体力がない。慢性的に具合が悪い。情けないと自分でも思うが、「外に出る準備」だけでぐったりしてしまうのが常だ。
出先で動けないくらい具合が悪くなったらどうしよう。周りの人に迷惑だって思われてないかな。そんな不安がつきまとう。周りなんて気にしないで自分のペースでやればいいんだよ、と言うのは簡単で、どうしたって同じ空間に他人がいれば少なからず気を遣うだろう。
それに、難病患者は見た目では病気だとわからない人も多い上に、障害手帳を持っている人は意外に少ない。これは実体験だが、就労支援施設を利用しようとした際に、対象利用者に「難病」のジャンルがあるところが圧倒的に少ないことに驚いた。田舎ならなおさら。話を聞けば、体調の不安定さで仕事に就けない、就けたとして定着しないからだそうだ。
今の職場ではほぼリモートワークで働かせてもらっている。外に出る、人に会うというプレッシャーがない分、身体がだいぶ楽になった。いつでもトイレに行ける。いつでも薬が飲めるという安心感から、以前よりずっと仕事に集中しやすくなった。もし「出勤」という働き方しかなかったとしたら、私は働けていなかったと思う。
学生時代だってまともに登校していたとは言い難い。不登校ではないにせよ、毎日親の車で送り迎えしてもらい、それでも遅刻、早退、欠席、保健室の常連だった。学校に行くだけで精一杯で、勉強や友人関係で悩む暇もなかった。
コロナ禍は大変だったが、リモートワークという働き方の選択肢が増え、それが日本中で認知されていることに救われた人は多かったのではないだろうか。
リモートワークは最高だと思う。これからもこの働き方でやっていきたいと思う。しかし、実際に会って同じ空間で仕事をすることの効率の良さもわかるのだ。たまに出勤して在宅でやったことの確認やこれからのことをミーティングするが、リアルタイムで進むやり取りの効率性にはリモートワークは勝てないと感じている。
表情、声の大きさ、ニュアンスなどは、やはり対面の方が伝わりやすい。捉え方の違いなども訂正しやすい。文字や通話でできないこともないのだが、複数人で仕事をやっている以上は対面もあったほうがいいのかなと思っている。
月並みなことを言ってしまうが、働く人や業種によって、出勤とリモートワークを使い分けられればいいと思う。働き方が柔軟になれば、私のような虚弱体質の人も選択肢が広がるし、「働くこと」のつらさを軽減でき、心身を病む人も減るのではないだろうか。コロナ禍によって突然必要に迫られ生まれたリモートワークだが、そのようなきっかけがなくても、「働きやすさ」については常日頃から考え続けられるべきだと思う。
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