「やりたいことを仕事にするなんてできっこない。まして女性が仕事に生涯を捧げるなんて」

私の祖母はそういうことをスパッと言ってしまう。だからといって祖母を嫌煙などしないし、時代が全てだなあと感じるだけである。
祖母は15歳かそのあたりで従姉と共に上京し、事務員として働きながら、洋裁学校に通う日々を送っていた。深夜、職員の寮に帰宅すると、寮母がみそしるとおにぎりを用意して待っていてくれていたという。身を粉にして働いても続く貧相な暮らしに、嫌気がさす日々だったとよく話す。
祖母は働きながら、自分がやりたいことを学んだ。その学びがお金として還元されることはなかったけれど、今でも祖母の裁縫技術は健在で、近所の人たちから頼まれればエプロンをつくってあげたり、洋服の手直しをしたりしている。みんな裁縫の労力がわかっていないとぼやきながらも、内心嬉しそうにミシンと向き合う姿は可愛らしいなと思う。

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しかしそんな祖母は、大好きな裁縫を仕事にすることはなかった。

私が十代半ばの頃、祖母が言ってきた言葉が今でも忘れられずにいる。

「好きなことを仕事にできる人なんて数パーセントいるかどうかだ。仕事は好きなことをする場所じゃない。自分ができることをするのが仕事なんだから。ましてや、女性は仕事とすぐに縁を切るのだから、いつ叶うかわからない夢を追いかけるよりも、今すぐに収入が得られる職に就くべきなのよ」

夢と希望でいっぱいな年頃の孫に言うセリフではないだろうと思った。あいにく、その言葉にかなり引っ張られ、好きなことを仕事にはできないという考えばかりが頭を埋め尽くした。

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私には好きなことがいっぱいある。打ち込みたいことがいっぱいある。それなのに私は、女性は養ってもらわなければ不自由ない生活は手に入らないとか、好きなことは趣味の範囲で満足しなければならないとか、現実的でまともっぽいことを言ってしまう。自分は世間の厳しさをきちんと理解している物わかりのいい人であると、そう思い込みたいのだと思う。

先日、祖母にちょっかいをかけてみた。

「もしも、ばあばにその職に就くのはよしなさいって言われるような不安定な職業でも、私は一度決心しちゃったら、言うこと聞かないかもな~」
「よしなさい、なんて言わないわよ」

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心底驚いた。予想だにしない返答だった。
私がいわゆる古い考え方に囚われているのは祖母の影響であると、人のせいにして生きてきたから、その祖母からこんなことを言われてしまっては、全てが覆るようなものなのだ。かつての祖母の意見が、いつからか自分自身の意見になってしまっていた。それは、分かりやすくて選びやすい道だからなのだと思う。

それからは、「女性だから」を言い訳にしない将来を考えてみるようになった。まともに見える意見を自分の本音と勘違いしてしまわないように、慎重に、何度も考え直していくことにした。

真摯に仕事と向き合い、生涯を捧げて向き合っていく姿がかっこいいと感じるし、そういう将来もありかなと思っている。でもまだまだ分からない。どんな職業に就きたいのか、家庭を築きたいのか。働くことの大変さも、女性が蔑ろにされる時代も知っている祖母から学ぶことが沢山ある。そうやって吸収したものを、無意識のうちに自分の思考が偏る重荷にしてしまわないよう、再考することによって色メガネを外すきっかけにしていきたい。