3歳になった息子は、通っていた小規模保育園を卒園し、4月から幼稚園に通うことになった。先日初めての卒園式を終え、次に控えるのはこれまた初めての入園式。もちろん、親子ともども。あいにくお友達とは異なる進学先を選んでしまったため、息子には少しばかり(いや、かなり)不安が募っているらしく、よく「幼稚園キライ」と口にしては目を潤ませていた。

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まだ春休み期間ではあるが、慣らしの意味も込め、入園式に先立って、数日間預かり保育を利用してみている。初日はぼーっとしていてそのままヌルッと教室に入っていった息子も、2日目の今日は寂しさを抑えられなかったようで、エントランスの前に着くなり「おうち帰りたい」と一言。消えるような声でなんとか絞り出したようなそれは、半分諦めているような、でもワンチャンを狙っているような切実さがこもっていて、胸をつんと突く。

心を鬼にして彼の手を引き、教室の前へ。先生におはようございますと声をかけたその瞬間、感情のダムが崩壊したように、息子は号泣。私のスカートを掴んで泣きじゃくり、しばらくその手を離さなかった。「お母さんがいい、お母さんがいい」と何度も訴えるその声に、胸が締め付けられそうになる。そりゃあそうだよなぁ、私だって酷なことしてるって思うもん。細かく上下する小さな背中をさすりながら、どう声をかけるべきか思考を巡らせる。そうこうしている間に、私と息子の横をどんどん他の園児と母親が通り過ぎていく。

仕事もあるけど、今日は連れて帰るべきだろうか――。そう考えていた次の瞬間、先生とアイコンタクトが取れ、咄嗟にスカートを掴んでいた息子の手をそっと解いて、お母さんいくね、と足早に教室から立ち去った。明らかに息子のものとわかる激しい泣き声が、背中から降り注いでくる。私は鬼だ。愛する息子を置いていくなんて、母親失格だ。目頭が潤んでいくのを感じながら、ガムシャラに自転車を漕いで自宅に帰った。散っていく桜の花びらを次々に追い越しながら、「なんなんだろ」と呟く。最悪な春だ。

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夫も息子も寝静まっていた朝5時、慣れないお弁当作りに奮闘した痕跡が、そのまま残っている自宅に帰り、深いため息をつく。寝不足で、バタバタで、息子は泣いていて。こんな生活、誰が幸せなんだろう。息子の進路を決めたときは、あんなに希望に満ち溢れていたのに。心も身体もボロボロだ。

誰かに縋りたくて、スマホのチャットルームを開く。相手は母だ。母は、私と姉・弟の3人を幼稚園に入れて育てた。「息子、登園で爆泣きで、見ていてつらかった。私のときもそうだった?」そんな私の言葉に返ってきた母のメッセージは、この先きっとずっと忘れられない。

「入園してすぐ。時々心配で、園の外からそっと見ていたんだけど、たまたまなりちゃんがお友達から仲間外れにされた瞬間を見てしまった。しょぼんと頭を下げるなりちゃんを見て、抱きしめたいのを堪えていたら、突然ブランコのほうに駆け出して、年長の男の子に押してもらってキャッキャと笑顔が戻っていた。30年前の、なりちゃんでした」

そのときのことは、まったく覚えていない。でもこのメッセージを見た途端に、当時の景色が鮮明に目の前に広がった。そうした一つひとつを、私は確実に乗り越えてきたんだ。仲良くなれそうな同級生を探してキョロキョロ辺りを見回した心細さも、ぶち当たったイジメのつらさも、親友と喧嘩して知った胸の苦しさも、一つひとつを全部乗り越えて、今の私がいる。今でも完璧ではないけれど、きっと30年前の私よりかは、いくらかたくましく成長しているはずだ。今まで感じてきた痛みはすべて、強くなるための成長痛だったのかもしれない。

そして、こうも思う。今日のこの日は、息子にとっても私にとっても、成長期なのだと。今日のことを思い出して、今日の痛みに想いを馳せて、幸せな気持ちになれる日が、きっとくる。10年、20年、いや30年後かもしれない。私はその日のために、息子とともに、今日を乗り越えてみたい。

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お迎えの時間。朝の息子の泣き顔を思い出しながら、そうっと園庭に出てみると、年長さんと一緒に木に引っかかったボールを取ろうと頑張って手を伸ばしている息子を発見。太陽の光を全部取り込んだみたいなキラキラした瞳で笑う息子を見て、30年前の母の気持ちがわかったような気がした。息子も今日を乗り越え、少しだけ強くなったんだ。

自転車の後ろで、相変わらず「幼稚園キライ」とぼやく息子。でもその声色は、昨日までとはちょっとだけトーンが違うような気がした。「そう?お兄ちゃんたちとボールで遊んでて、楽しそうだったじゃん」と、後方に投げかけてみる。母も子も、こうして強くなる。私たちの成長期は、まだ始まったばかりだ。