候補者に女性を「入れておいたほうがいい」?女性活躍推進への違和感

正直、私は社会人になって漸く、自分が「女性」であることを意識した。
中高は別学で、女子が重い物を運ぶのもリーダーになるのも当たり前だった。大学では「あなたはどう思うの」と私個人の考えを問われ、認めてもらえた。そりゃあ生理による体調不良だとかはあったけれど、学生時代の私は幸いにも「自分が女性だから」何かできなかった、不当に扱われた、と感じたことがなかった。
それが社会人になって一変した。
「女性にもっと弊社を選んでもらうにはどうすればいいのかな」
入社式で社長に聞かれた私は、素直に「私が弊社を選んだ理由に性別は関係ありません」と返した。
振り返ると全く答えになっていないのだが、これが私の本心だった。私の入社理由はやりたいことがあったからで、女性としての働きやすさ、福利厚生を特別意識して入った訳ではない。福利厚生はむしろ、同期の男性陣の方が魅力に思っている人が多かった。
社長は私に何も返さず、そのまま別の女性に同じ質問をした。後から先輩社員にフォローされ、私はこれからは勝手が違うようだ、と薄々悟った。
なぜ社長にあんなことを聞かれたのか。女性が働き続けるとはどういうことなのか。働き始めて、私は徐々にわかってきた。
キャリア、恋愛、結婚、子育て、介護。もちろん人によるけれど、20代になると一気にライフイベントの決断が増えてくる。言いたくないが、特に女性にはいわゆる「リミット」のようなものがある。学生時代の私はただ夢を追い、キャリアを積むことばかりを考えていたが、社会人になってみて、結婚や子育てを考えると計画的にならざるを得ないと知り、早くキャリアの方向性を決めなきゃ、と焦りが生じた。私の入った会社は恵まれていて、子育てしながら働いている女性もそれなりにいるが、管理職に近い地位の人ほど休日も稼働している。自分がそういう働き方をできるか不安だった。
入社ギャップもあった。仕事内容が好きじゃなくて続けられる自信がなく、早いうちから転職を考えた。けれど次の会社が今みたいに女性が働き続けるための制度が整っているとは限らない。転職したら仕事に慣れるのにまた暫く時間がかかるだろうし、そうなると結婚や子育てのタイミングもどんどん遅れていく。
令和の時代、別にいつ結婚したって、結婚しなくたって、子供を持ったって持たなかったって、自分が幸せならそれでいい。けれど私は真面目すぎて「リミット」を強く意識し、一生懸命考えて、そして…疲れてしまった。
最終的に、私は今の会社で長く働くことを決めた。ライフイベントを考えると、まだ見ぬキャリアへ全ベットする勇気が出なかったのだ。
もちろんこの決定にはポジティブな理由だってあるし、私は納得している。けれど私がキャリア志向から一歩退いた理由には、男性同様の働き方はできない、と私が感じてしまったことも大きい。
世間では女性活躍推進が謳われ、管理職の女性割合など色んな基準が設けられている。何かしらの認定を達成したと激賞されている団体も増えてきた。けれど私はそれに違和感がある。
会社のとあるコンテスト企画で、候補者たちの中から最終選抜者を決めているときのことだった。
議論が進んでいくと、ふいに1人の男性が不安そうに口を開いた。
「今のところ女性を1人も取っていませんが、どうしますか」
選抜基準には関係ないのに、なぜこの場で「女性」が論点に上がるのだろう。私は奇妙に思った。
だが他の男性陣も一様に同意するような素振りで、私や他の女性の顔色を窺っていた。最終的に「そうだよね。女性を入れておかなきゃ」と課長が指示して、最終選抜者には2人の女性が加わった。
別に不当な訳じゃないと思う。彼女らはきちんと合格ラインを超えていたからだ。
それでも、目の前で起きたことへの違和感が拭えなかった。
確かに昨今、女性の数が少ない、という表面的な情報で批判されることも多い。けれどだからと言って、ただ何でも女性の数、割合を増やせば女性の社会活躍が推進されるという訳じゃない。
根本的な女性活躍を進めるには、「家庭のことは女性が中心になるもの」という社会の色メガネを認識する必要があるのではないだろうか。
他人だけではない。女性である私自身も、女性=家庭の中心になるもの、という色メガネで無意識のうちに自分を見てしまっているという自覚がある。
家庭ごとが好きな方もたくさんいるし、須らく悪いわけじゃない。けれど少なくとも「そうじゃないよな」という認識をより多くの人が共有する世の中になれば、私は生きやすい。なにせ「女性ごと」にされて放置されている物事が、今の社会にはあまりにも多すぎる。
私の選択は私自身で行ったものであり、社会のせいにするつもりはない。
しかし「とりあえず女性を増やしておけばいい」__そんな考え方が普通にまかり通っている社会が、女性活躍を推進できている訳がないのだ。
ただ見せかけのチャンスを作るだけで満足せず、もう一歩踏み込んで、皆が無意識の色メガネを外さなければならないと思う。
まあこんなの、昨今のメディアで姦しく言われていることの二番煎じに過ぎない。にも拘らず、まだ社会が変わっていないのは、実体験した本人ですら喉元過ぎれば熱さを忘れるからだ。
どうせ私も例に漏れないだろうから、自戒のためにも書き残しておきたかった。
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