30歳を超えたところだというのに、さっそく休職することになった2024年の秋。不眠はもちろん、体勢を変えるたびにえずくようになってしまった。「限界です、ちょっと休ませてください」と、ひとまず12月末までの休職の診断書を心療内科の先生に書いてもらい、3度の休職延期を経て先日、「勤続年数的に、4月末で休職する限界が来てますよ」と連絡がきた。

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なかなか苦しい日々だった。最初のうちは休職ハイのような感じで、これまでの鬱憤を晴らすかのように出かけまくった。前々から約束していた天橋立旅行は、一緒に行く予定だった子がいけしゃあしゃあと「行けなくなった」と言い出し、色々あって、自室で棚を1つぶっ飛ばしてカーテンを引きちぎる大暴れ事件を発生させた。夜中に母親に「落ち着いて」と背中を撫でられるのはもうこれきりにしたい。結局、母が同行してくれて、とても有意義な旅になった

その後、えずく原因を探そうと、生まれて初めての内視鏡検査をして、「ちょっと傷付いてるけど、元気な胃です」と言われ、「お化粧してる朝にえずくから、アレルギー検査もしようかな」と医師に相談すると、普通に止められた。ストレス以外に原因を探そうと躍起になっていた私に、ストレスが原因だと認めさせるまで時間がかかった。そして年末年始に父親の風邪をもらって、同時にうつ状態に突入した。

毎回「うつ病と診断するほどではない」と言われつつも、うつの症状は出るらしく、そのモードに入ってるときは、本当にしんどい。仏壇に手を合わせながら、「なんで私も連れて行ってくれへんのか」と何度も繰り返したり、風呂なんてキャンセルしまくるし、家からはもちろん、ベットからさえ出られない。SNSも読めない。

しかしこの状態になるのは2度目だったので、記憶が曖昧になることを見越した私は、休職が始まった日から日記をつけ始め、そしてどこか冷静にこの状態を観察している自分が、「うつ」に関する本を読んで学ぶようになった。転んでもタダでは立ち上がらない。精神障害に悩まされたロベルト・シューマンの気持ちがわかるのでは、と彼の人生を調べたりもした。1月末ごろからは少しずつ外出できるようになり、距離を伸ばし、親しい人に会い、ジムでの筋トレを再開し…と恐る恐るリハビリをして、気がつくとブリーチ3回のピンク姫カット頭に、耳のピアスの穴が2つ増えていた。ああ、恐ろしい。 

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2月末の診察で4回目の診断書が出た矢先の、本社からのメールだった。例えるなら今は、焼きたてのクッキーのような柔らかい状態で、いま突かれると、すぐに崩壊するよ。と様子を見ることになっていたのだが、悠長なことも言ってられない。遠慮がちに優しい言葉で退職を勧められたけれど、自分のタイミングで辞めたい私は猛烈に暑苦しいメールを返信してしまった。おかげで復帰への熱意は伝わったらしい。

3月も半ばに差し掛かってきた。12月から始めた水栽培のヒヤシンスは、上手に咲いてくれた。体も少しずつ動くようになってきた。希死念慮は少しだけたまにあるけど、急に訳もなく号泣することも無くなった。ジムに行くと、頭に酸素が回るのがわかるし、お風呂も入れるようになってきた。お風呂に入って、全身を洗って綺麗にすることは、自分を慈しむ行為だと、私が私を愛することをやめないように、と。

満開のヒヤシンスを見て、「お前は見頃があっていいね」なんて呟いたけれど、私のヒヤシンスは、一度きりで終わってしまった。私の見頃はいつなんだろう。もう終わってしまったのか、まだ来ていないのか、いつか未来で振り返った時に、ふとわかるものなのか。わからないけどとにかく、私の人生はそこまで儚くない。花はつけないかもしれなくても、常緑樹のように力強く生きていきたい。

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メンタルの不調を回復する時、それはまるで、身を守る硬くて重すぎる鎧を剥いでいくような感覚がある。所々癒着していたりして、なかなか上手く取れない。大丈夫、大丈夫。今は取っても、誰も攻撃してこないよ。そう言い聞かせながら、恐る恐る取った鎧の下には、ヘロヘロにふやけた懐かしい肌が現れる。おかえりなさい、私。壊れる前に逃げてくれて、ありがとう。そろそろまた、新しい経験を着に行こうか。