もし中学、高校時代の自分の印象を同級生に尋ねたとしたら、きっと皆口を揃えてこう答えるでしょう。

「凄く物静かで存在感がなかった」

この発言だけ見ると、一見まるで私が級友からいじめでも受けていたかのように見えてしまうかもしれませんが、決してそうではありません。

彼女たちに悪意はなく、ただありのままの事実を述べているだけなのです。今思い返しても、あの頃の自分はそれほどまでに大人しい生徒でした。

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小学校までの私は、いたってどこにでもいる特にうるさい訳でもない普通の子供だったように思います。クラスメートとも普通に話していましたし、友達だってそれなりにいました。

しかし、中学に上がった時からその風向きは少しずつ悪い方向へと変わっていってしまいます。私は親の勧めにより、地元の公立中学には進学せず、私立の中高一貫校を受験しました。

小学校の友達は皆ほとんどが同じ公立の中学へと進学したため、少し寂しさは感じたものの、全く別の市にある学校へ電車とバスを乗り継いで通うという真新しさが私をワクワクさせました。

遊びたい盛りに受験勉強を乗り越え、念願の合格を果たした暁にはこれから新しく始まる新生活へと思いを馳せたものです。

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しかし、現実はそう甘くはありませんでした。入学したら新しい友達を沢山作るぞ!と意気込んでいたのですが、いざ新しい世界に飛び込んでみると、私は何故か今までより全く話せなくなってしまったのです。

一対一で誰かと話をする際はそこまで変わりなく会話をする事ができるのですが、複数人、グループで何かをするとなると緊張からなのか、全くといっていいほど言葉を発する事ができなくなってしまったのです。

自分でも直接の原因はよく分かりませんが、恐らく今までとは全く異なる環境に萎縮してしまった事と、私立の中学にいた子達は皆自分が今まで付き合ってきた子達よりも大人びており、上手い接し方を習得するのにかなり長い時間を要してしまった事も影響していると思われます。

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結論からいうと、私の中高時代はあまり望ましいものとはいえませんでした。出だしを上手く切り出せなかった私は、同級生たちから「たんこさんは大人しい、あまり喋らない人」というレッテルを貼られてしまい、何度かそれを破ろうとはしたものの、中々それを打開する事ができず……。

決していじめられたり孤立していた訳ではなく、友達もいるにはいましたが、何をするにも常に本当の自分が抑圧されている様な状態が続き、この六年間は今思い返しても楽しい事よりも辛い事の方が多かった様に感じます。

一度大人しいというイメージがついてしまうと、自分から何か発言をすると周りから「え、何で急にそんなに喋るの?(笑)」と好奇の目で見られるような気がしてしまい、また押し黙ってしまうという負のループが続いてしまいました。

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それを脱却できたのは本当にごく最近の事のように思います。大学に入り、関わる人達、そして環境が大きく変わった事で私は新たな自分に生まれ変わる事ができ、自由に発言をしても周りの目を気にする事なく「大人しい私」から卒業する事ができたのです。

今思えばあんなにずっと黙っていたなんて自分でも考えられないですが、やはり年齢的にも思春期で多感な時期でしたし、自分、周囲を含めて一度付いてしまったイメージから中々抜け出す事ができない難しい時期であったのだと思います。

しかし、中高時代にそういった理由で苦しんだからこそより他人の痛みに対して理解をする事ができるようになったと思うし、昔があるからこそ今の日々はより楽しむ事ができているようにも感じます。

もし昔に戻りあの時の自分に会う事ができるとしたら、私はこう声をかけてあげたいです。

「大丈夫、いつか自分らしさを出せる日が来るよ」

と。