家から出る身支度の一連が苦手過ぎる私でもいつか働けるかもしれない

家から出るのが苦手だ。好き嫌いの問題ではなく、苦手だ。朝に弱いため、朝早くともなると、眠れないし、起きられない、ごはんも用意できない、食べられないで壊滅的だ。大抵、飲まず食わず、着の身着のままというような勢いで外出している。
家から出てしまえば割と何とかなるのだが、出るまでが大変だ。これはもう、朝早くとかどうとか関係ない。
家から出るためには、色々とやらなければならないことがある。特に歯を磨き、顔を洗う。そして、化粧をして、着替える。この一連が苦手だ。出来ないことないのだが、なぜかすごく疲れてしまう。
最近では、寝る前に顔を洗ったのだから、起きてから顔を洗う必要ないのではと思い、顔を洗っていない。特に支障はない。
化粧ノリとか色々とあるのだろうが、私は日焼け止めと社会的なマナー程度の最低限の化粧しかしない。だから化粧ノリもクソもない。肌荒れも特にしていない。肌が強くて助かった。将来的に有害なのかもしれないが、いつ来るのか分からない将来より、今を優先せざるを得ない。
いちばんの難関は着替えだ。まず、何に着替えれば良いか分からない。クローゼットに服はあるし、何パターンかコーディネートされた状態で吊しているのだが、その日の天気、気温、予定、気分等々を考えてとなると、なんかもう訳分かんなくなってくる。
事前に決めておけばと思うかもしれないが、明日何着ようってけっこう考えているのに決められなかった末の葛藤なのだ。まぁこれは、体型の変化で心地良く着られる服が限られてきてしまっている影響もあるのかもしれない。
元から服のコーディネートが苦手というのと、鬱や疲労などの影響で考えられない、決められない状態になっている負の相乗効果の結果だと思う。
コーディネート以外にも着替える動作そのものが苦手だ。あくまで私の体感なのだが、私は空間認識能力が低いようだ。
認知症で空間認識能力が欠けてしまった患者さんが着替えが出来なくなったとテレビで観たことがある。体のどこをどのように動かしたら服が脱げて、服を着られるのか、それらを認識して、指令を出すことを司るのが空間認識能力だそう。他にも空間認識能力が低いと車の駐車が苦手になるそうだ。
それを観て、なんとなく私は空間認識能力が低いのかもと納得した。駐車はもちろん苦手だし、数学の空間図形の問題は理解出来た試しがない。空間認識能力が低いため、着替えが苦手で、いつもは出来ていても、鬱や疲労の影響があると、脳が疲れているため途端に出来なくなる。体感としてはこんな感じだ。
あと、おうち用のワイヤーのないブラジャーから、お外用のワイヤーブラに着替えるのに、他の着替えよりも気合いが必要なのは私だけだろうか。窮屈ではあるが、外で動き回るのにワイヤーがないと心許ない。だからブラを替えない訳にもいかず、ことさら気合いを入れて着替えている。
そして、そもそも鬱や疲労などがひどいと、予定の時間に合わせた行動が取れなくなってくる。準備しなきゃいけない時間だと分かっていても、体が動かず、結果として急ぐ羽目になるのだ。
そういった事情を踏まえると、リモートワークはとても魅力的に思える。でも、着替えやら何やら、生きていくのに基本的なこともちゃんと出来ないのに働くなんて……という気持ちもある。自分は働くためのスタート地点に立てていないのではないかと思うのだ。
私が大変だと思っている物事は、一時的な症状の一種なのか、努力してもどうにもならないハンデやバリアなのか、怠慢なのか、ワガママなのか、自分でも判断できない。
でも、家から出ずにこうやって文章を書いて、1年以上続いている。それを踏まえると、家から出ないで出来ることであれば、ある程度出来るのかなとも思う。そう思えたからこそ、今、在宅で仕事ができるような技術を習得しようと、勉強を始めている。そうやって自分にとって少しでも良い方向に進んでいければ、リモートに限らずいつか働ける日が来るかもしれない。
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