色メガネという言葉。
私が子どもの頃、昭和の時代、周りの大人たちの会話によく出てきたように思う。
「色メガネ」で見られたらかなわんな、とかうちの両親もよく言っていたものだ。

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私は小学5年生まで父の会社の社宅に住んでいた。
鉄筋4階建てのアパートの団地。
キャラメルの箱のような四角いアパートの群れに住む生活レベルが同じような核家族の集まり。子供の数が多い時代だったから誰かれなく集まって遊んだりけんかをしたりと無邪気に過ごしていたものだが大きくなるにつれ、大人の世界が見えてきたように思う。

夕飯時の父と母の会話から聞こえる、父の同僚である友だちのお母さんやお父さんの噂話。
Tちゃんのお母さんはお化粧ばっちりの派手な姉さん女房、Cちゃんのママは再婚で保険のセールスレディ、S本さん家はおじさんもおばさんも穏やかで仲良しだけど子供がいない……などなど。
そんな話を聞いて私のおでこにも「色メガネ」が乗っかっていたのかもしれない。

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小耳にはさんだ予備知識を携えて友だちの家に遊びに行ったところ、Tちゃんのお母さんは細く整えた眉毛にきれいな水色のアイシャドー、栗色に染めた髪を大きくふんわりとカールして……くわえたばこで「T、お友だちにジュースを入れてあげな」とTちゃんに指示を飛ばす。うーん、かっこいい。
ツイッギーか奥村チヨさんのような雰囲気だった。

お母さんが出かけた後、Tちゃんが悪戯っぽい笑顔で飾り戸棚からミニチュア洋酒ボトルを取り出してその小さな蓋に中身を注いで勧めてくれたのはジンだった。
何も知らず飲み干した私はのどが大火事になり声を殺してバタバタ。その様子を見て笑い転げるTちゃん。
きれいなお母さん、洋酒ボトルの数々、Tちゃんの白い丸襟のブラウス……。

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また団地の公園で遊んでいるとCちゃんのママが夕暮れに大きな営業カバンを下げて帰って来るのをよく見かけた。大きく手を振りながら「ただいまー」と連れ子であるCちゃんを抱き寄せる優しい笑顔。

Cちゃんのママはとてもお料理が上手で我が家とは全く違う豪華なおそうめんをごちそうになったことがあった。薄い藍色のガラス鉢に泳ぐ白いそうめんに赤いチェリーと緑のきゅうりの細切り、甘辛く煮含めたシイタケが添えられていてうっとりするおいしさだった。

そんなのどかな夏の日の風景。西日が強く白いアパートが濃いオレンジに染まる時、ふと物悲しいような風を感じた。じゃあまたねー、ばいばーいと言って自分の家のドアにたどり着いた時、見慣れた部屋と匂いにほっとしたものだ。

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あの頃、まだ時代も貧しかった。
少しの好奇心や偏見や見栄でよその家を見たり見られたりしたこともあっただろう。
遠く懐かしい日々。大好きだったTちゃんやCちゃん……。
素通しのレンズほどの潔さはなかったかもしれないがあの時代、あの団地で皆が一生懸命に暮らしていたのだと思う。
今も懐かしくて愛しい、そしてちょっと切ない。