「女性は曲を作れない」愛するパンクの世界で遭遇する色メガネ

私の趣味はバンドをすることだ。大学生の時に軽音サークルに入ったことがきっかけで始めた。自分達でオリジナルの曲を作り、ライブハウスで発表する。商業目的ではないから、小さなライブハウスやバーばかりだ。
音楽ジャンルが少し変わっていて、パンクやハードコアといった所謂「うるさい」音楽だ。黒い服を着て、ディストーションで歪んだギターの音を鳴らし、ボーカルは歌うというよりか叫んでいる。恋愛の歌よりも、戦争反対や、フェミニズム、人生の苦しみや生き方について、思考し主張するバンドが多いのが特徴だ。ZINEといったDIYの活動も根付いている。その激情やエナジーに魅せられて、自分もやってみたいと思った瞬間から今まで続けてきた。
このジャンルはニッチかつ粗野に見られやすいからか、悲しいことに女性のファンがほとんどいない。パンクが始まった70年代から、シーンのほとんどが男の手によって作られてきた。今でもライブハウスに行くと、客の9割が男性という日もある。女性がいたとしても、バンドマンのパートナーか、もしくは演者という場合が多い。全演者が男性という日も少なくない。だからその分バンドをしている女性は、色メガネで見られる場面に頻繁に遭遇する。
まず、「女性は曲を作れない」という偏見だ。私の場合、自分で曲を作り歌っている。自分の経験だが、ライブ後「え、あなたが曲を作ったんですか? 他の人が作っていると思っていました!」と、悪気なく平然と言われたことがあった。ものすごくショックだったけど、「そうなんです、むしろメンバーにアレンジしてもらってますう」と謙遜した。自分がダサかった。男性が歌っている場合は、「自分で作ったんだろう」という前提のもと聞かれているのに、女性だと「誰かに作ってもらった」という偏見にすり替わっていることが悔しかった。
また、女性が歌う場合はパンクの中では下位分類になる。店舗レビューを見ると、女性が歌っているバンドには必ず「女性ボーカル」や「フィメールボーカル」と形容されていることが多く、ひどい時にはボーカリストの名前の後ろに「〇〇嬢」と書かれていることもあった。「ガールズバンド」という言い方も性差別的だと思うが、今でも一般的に使われることもある。その人の心の性別と声(身体の性別)が異なる可能性があるにも関わらず、性別を一方的に押し付けるレビューにはいつも疑問だった。さらに、「メンズボーカル」や「ボーイズバンド」と書かれているのは見たことがないことから、女性のボーカルやバンドは異質なものとして「特別な」分類をされているのだと思った。そのような現状に物申すと、今度は90年代のBikini Killのように「ライオット・ガール」といった名前を付けられ、別の枠組みで語られてしまう。
ライブを見ている際に、男性が周りを気にせずモッシュをし、気付かずに見ていた女性が押し飛ばされて怪我をした瞬間にも出会したことがある。その人は頭から血が出ていたが、
「私がここにいるの悪い」と言った。それは違う、と言えなかったし、ぶつかってきた人に怒れなかった。私自身も、頭上に大男がダイブしてきて頭を打った回数は数知れない。だからか、自然と「我慢する立場」に甘んじてしまうのだ。男性の力加減を元に考えられた「ハードコアのライブでは危険が付き物」という固定観念はなかなか消えることが無い。
諦めて波風立てないでいるのは、私も「色メガネ」をかけていることに他ならない。偏見の目で自分自身を眺めているのだ。弱虫だけど、そのメガネを壊したい。そのためには、シンプルなことだけれど声を上げることから始めようと思う。この小さなエッセイは、その一歩目だ。
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