家を出る日、私が母・姉・妹を守ると決めた。自然と涙が止まった

父のDVに耐えて二十年が経った。生まれたときから、父と母の上下関係は出来上がっていて、誰も父に逆らうことはできなかった。子供達に暴力を振るうことはなかったものの、怒鳴ったり物に当たったりするのは珍しくなかった。
長女、そして次女の私が我慢の限界を迎えたのは、二人とも成人してからだった。
それまで、必死で「うちは普通だ」と思っていた。いや、思おうとしていた。けれどずっとどこかで引っかかっていた。
大人になった私たちは、我が家の異常さに気づくことができた。そして行動できるようになった。
母は家を出ることを考えていないようだったので、三女も含めた子供達だけで家を出ると決めた。父、そして同居している祖父母には秘密裏に、家を出る計画を進めた。
初めて不動産屋の門を叩いた。姉の名義で書類にサインをした。私は姉の隣で、不動産屋さんの話を聞いていた。
部屋の契約も済んだある日のことだった。誰もが寝静まる深夜、私は父の怒鳴り声で目を覚ました。扉を薄く開いてリビングの物音を聞く。手が出ているのは明らかだった。
いつ何があってもいいように、私のスマホには警察署の電話番号が登録されていた。逃げる先のアパートも契約してある。
時間にしたらほんの数分だっただろう。だが私は必死で考えた。沢山考えた。電話をかけるべきか。かけたら家族全員の人生が大きく変わってしまうことは明白だった。心臓が激しく脈打っていた。
そして私は、人生で一番の勇気を振り絞り、電話をかけた。
「父が母に暴力を振るっています」
自分が発した声とは思えないくらい、未だかつてないほど震えていた。
あの日から父には会っていない。
二世帯住宅なので、隣の祖父母の家で一週間ほど過ごした。
何度も父以外の家族全員で話し合った。何度も涙を流した。
私が強くなったのは、いよいよ家を出るという日だった。
車に荷物を乗せて、もういつでも出られるという状態だった。みんな泣いていた。私も泣いていた。祖母は一人一人の手を握り、別れの言葉を何度も繰り返していた。
ずっと泣いていた私だったが、ふと、自分の中でスイッチが切り替わるのを感じた。
妹はまだ高校生で、守らなければならない。大人だけど父のDVを直接受けていた母も、私が守らなければならない。
そしていつも気丈に振る舞い、家族を引っ張ってきた、しっかり者の姉。その姉が、目の前で泣きじゃくっていた。
私は気づいた。今冷静になれるのは、みんなを引っ張るのは私だけかもしれない、と。
そのことに気づいてから、私の涙は止まった。ぐっと視野が広がったような、上からみんなを見ているような感覚になった。
「もう行こうか」
私がてきぱきと進めて、母、姉、妹を車に乗せた。みんな泣いていたので、私が運転席に座った。
涙を流し続ける祖父母を横目に、車は走り出した。
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