ただならぬ「母性」という強さに憧れる。いつか子どもを授かりたい

強いなと思う女性が、まわりにたくさんいる。
彼女たちは、自分の決めたことに対して責任を持って進んでいて、それでいて状況に合わせた柔軟性も持ち合わせている。
ジェンダーレスの時代ではあるが、柔軟性は女性が得意とする感覚だと思う。
女性と男性は、性別が違う。
だから、個人による差はあるにせよ、身体のつくりや得意とする頭や心の使い方などは、男女で分けることができるという前提のもと、女性は感覚的、男性は理論的という傾向が大きくあると感じる。
女子会で、好きなものを語り合っている時の温度感は異常に高い。
グルメ、推し活、ファッション、コスメ、ヨガ、カルチャー、旅行など様々なことに対して、目を輝かせて熱量高く語る。
好きなものへの愛情表現が豊かだ。
そんな時間が大好きで、女に生まれてよかったと思う瞬間だ。
だから、好きなものへの情熱を持ち続けている人を強いなと感じる。
彼女たちは、好きなもののためには、多少の困難な状況がおこったとしても、めげずに乗り越えている。簡単に乗り越えられる壁でなかったとしても、あきらめない。
家庭の事情で、相続や経済的状況の変化から、それまで続けてきた事業を手放したり変化させたりせざるを得なくなった方がいる。自分ではどうすることもできない変化を強いられた時、これまで積み上げてきたことを思い絶望や心が折れることもあるだろう。しかし、柔軟に新しい形を模索して、いつまでも挑戦していく姿勢は、何にも代えられない強さだと思う。その奥底には、好きなこと、大切にしたいことへの熱い思いがあった。
つらぬく信念と柔軟性をあわせもつ強さを、わたしも手に入れたい。
キャリアを形成する上では、男女による違いは多々ある。
女と男という絶対的な性差を充分に考慮した上で、男女平等をうたってほしい。
女性は、子どもを持てば母になるという大きな役割がある。それでいうと、男は父だと言われるかもしれない。
だけど、母親は特別な存在だと思う。お腹の中で四六時中一緒なのだ。だから、女性は身体を守らなくてはならない。
仕事をしているいないに関わらず、その「母」という役割を全力で担っている人を強いと感じる。
子どもの幸せを第一に考えている人。
幼い子どもであれば、ごはんを食べさせるという行為に愛が詰まっている。ごはんを食べさせるという基本的な行為であるが、自分だけであればおざなりになることもある行為であり、生半可な気持ちではできない。他のことをあきらめたり、犠牲にすることもあるだろう。
それだけ覚悟や決意が必要なのである。
そんなごはんを食べさせるという行為に代表される「母性」に、強さを感じる。
私は独身で子どももいないが、いつかは子どもを授かりたいと強く思っている。だから余計に、自分以外の誰かを生きさせるという責任からくる「母性」をただならぬものだと感じるし、憧れる。
子どもがいないことはすぐには変えられないので、子どもがいない今は、自分に対して満足したものを食べさせてあげ、生活を整えることに決めた。それが、今の自分の身体を守ることであり、母親になる可能性のある身体を守ることだから。
これからの自分がどうなるかは誰にも分からない。
だけど、周りにいる女性たちの姿を見て、どんな女性になりたいか、どんな強さを手に入れたいかを常に考えていたい。
自分の好きなことや大切にしたい価値観を何よりも優先する強さを持ち、状況や環境の変化に柔軟に対応していける自分でいつまでもいれるように。
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