毎年、年が明け、寒さがどんどん厳しくなってくる度に思い出すことがある。
私と夫は、ある年の1月2日に初詣をした。それまで何度か連絡を取り合っていたものの、二人でデートをするのは初めてだった。

その日、元々遊びにいくはずだった幼馴染の体調が悪くなってしまい、ぽっかりと予定が空いてしまった私は、ちょうど連絡を取り合っていた今の夫を初詣に誘った。
今思えば、その初詣がきっかけで付き合うことになったのだから、全てはタイミングだなぁと思うのである。
幼馴染から連絡が来て、一人、家で落ち込んでいたとしたら、あのデートはなかったかもしれない。そう思うと、あの時行動に移した自分を褒めてあげたくなる。

それまではいつも初詣は幼馴染や家族と行っていたので、デートで行くのは初めてだった。しかも、初めての二人きりのデートなので、緊張していた。
有難いことに、初詣で行った神社は人で賑わっていたので、緊張も少し和らいで、二人でおみくじを引いた。たしか、二人とも中吉だった。

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私の家族は、初詣に行ってもおみくじを引いたりする習慣がなかったので、今まで初詣でおみくじを引いて喜んだり、落ち込んだりした記憶はあまりなかった。

そのせいなのかは分からないが、私は神社でおみくじを引くのが好きだ。
別に内容なんて何だっていいのだ。好きな人や友人と一緒におみくじを引いて、凶だった、と落ち込んだり、大吉だった、と喜んだり、そんなくだらないけれどとてつもなく幸せなことをしたいのだ。

昔、友人に「無駄に思えるようなことこそ、一番幸せだよ」と言われたことがあった。その頃の私は、とにかく「ダラダラする」「目的なく時間を過ごす」「無駄なお金を使う」ようなことがあまり好きではなかった。

とにかく何に対しても冷めていたと思う。「それって何の意味があるの?」と何に対しても思ってしまう私に、友人が「無駄に思えるようなことこそ、一番幸せだよ」と言ったのである。
当時は、全く理解なんてできなかったけれど、今になってすごく実感する言葉だ。

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夫との日々を振り返って、「幸せを感じた瞬間」を思い出そうとすると、だいたい本当にくだらないけれど楽しかった瞬間なのである。夜中に二人とも眠れなくなってしまい、2時間以上ずっと布団の中でしゃべり続けたとか、クリスマスに夜な夜なお笑いを見ながらドーナツを食べたとか、近くの公園で一緒にパンを食べたとか、そんな記憶ばかりなのである。

数年前の初詣のデートからずっと積み上げてきた、くだらないけれど幸せな瞬間たち。
夫は、毎回そんな私のくだらないお願い(お散歩してパン屋に行きたいとか、夜中に一緒にカップ麺が食べたいとか)に優しく付き合ってくれる。

もちろん、生まれた場所も育ってきた環境も全く違う二人なので、小さなことから大きなことまでぶつかることもたくさんあった。
たくさん泣いたこともあったけれど、何だかんだお互いちゃんと「ごめんね」と言い合って、ここまで来ることができて良かったと思う。

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「何で結婚したの?」と聞かれて、もちろん理由は色々あるけれど、そういえば「一緒に歩いていて心地よかったな」と思い出した。
夫は平気で30分くらいお散歩ができるタイプだ。初詣のデートのあとも、30分くらい歩いて帰宅したよ、と言っていた。

私は「どんな人と結婚したいか」を想像したときに「一緒に公園をお散歩できるような人」がいいなと思っていた。一生一緒にいるならば、高級レストランでの食事や豪華なホテルも良いけれど、一緒に公園でピクニックを楽しむことができるような人がいい。もちろん、ホテルでアフタヌーンティーしたりするのは大好きだし、旅行ではちょっと良いホテルにも泊まるのだけれど。

そんな夫婦なので、この間もバスに乗れば10分で帰れる距離なのに、ラテを飲みながら30分歩いて帰宅したりした。でも、やっぱりこのくだらない時間こそ、一番大事な時間だと思うのだ。無駄に思えるようなことこそ、一番幸せなことなのだ。