「母は強し」とよく言うけれど、母の介護をするようになってその理由が少しだけわかったような気がしている。

母は脳出血で倒れた。脳には高次機能障害、失語症、体には右半身麻痺などあらゆる障害が残り、要介護者に。私は仕事を辞めて母の介護を始めた。

◎          ◎

介護というよりも、家事がメインだ。父は昔ながらの亭主関白。まだ定年退職前で働いていることもあり、家事の類は一切しない。私も在宅中心で仕事をしているが分担という考えは父にはない。

なぜ介護というよりも家事がメインだ、と書いたかと言えば母はリハビリを一生懸命に頑張り、自分でできることはできるだけ自分でするようになったためあまり手がかからない。利き腕ではない左手で洗濯物を家族全員分、畳む。食事後はテーブルを拭いてくれたり、自分が使った後の洗面台もきれいに拭き上げしてくれる。母として家事をこなしていた頃の名残だろうか。その気配りに助けられることばかり。ちなみに父が洗面所を出たあとはビショビショだ。

ブラックに近い職場で働いていたが、その経験をもってしても仕事より家事のほうが大変だと感じている。食事作りや掃除などの基本的な家事から献立を考えたり買い出しをしたり、排水溝や換気扇のごみ取りなどの細かいことまで、家事はやることが多い。褒められることも収入もない。それなのに収入が得られる仕事とのバランスを図らなければいけない。釈然としない思いを抱えながら時間の捻出をし、周囲への気遣いに心身を削られ、体力が消耗されていく。両立には日々悩まされている。

◎          ◎

そこで初めて気が付いた。家事のすべて、子育てのすべてを請け負ってきた母はどれほどに大変だったのかを。私が幼いころには深夜に、小学校に上がるころには日中にパートとして働いていた。今私が感じている苦労以上の苦労を重ねていたのだ。

倒れても仕方がないと痛感した。それほど、体にはガタがきていたはずなのだ。子どもが巣立ち、やっと自分のために時間が使える。これから人生の楽しみがたくさん味わえるその時に、不自由な体になってしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

きっと目が覚めた時、母は絶望を感じたはずだ。目の前にいる人が誰か分からない。言葉を発することも相手が何を言っているのかもわからない。そして体が動かなくなっていることに気が付いた時、どれほどの絶望感を味わっただろうか。

◎          ◎

だけど母は強かった。

一生懸命リハビリに取り組んだ。理学療法士さんとともに日常生活を送れるよう、体を動かしたり杖歩行の練習をしたり。さらに言語聴覚士さんとともに言葉を発するトレーニングしたりジェスチャーで気持ちを伝える訓練をしたり。幼い子供のように危ないもの、危ない場所が分からない状態から、一つひとつの物事を思い出し、理解できるようになっていき、自分の思いを伝える努力をした。

改善されたことは少ない。今でも意思疎通ができず喧嘩になることばかり。転倒し骨折したこともある。それでも7年前に比べれば、ずいぶんとできることが増えた。

生きることをあきらめない姿勢、自分の可能性を自身で広げ続ける姿勢、できないことが多くてもふさぎ込むのではなく、明るく笑顔で過ごすその姿に何度も何度も強いなと思わされる。

◎          ◎

夫を支えながら家事、育児、仕事をこなしてきた女性たち。確かに、仕事上の責任は男性に比べて少なかったかもしれない。だけど、家事、育児、仕事にはそれぞれ違った苦労やストレス、疲労、責任、プレッシャーがある。広い視野で気を配り様々なコミュニケーションの中で生じるストレスに耐え、家族の生活と命を守ってきた。家族の外出中に感じる微かな不安。帰ってきた時の安堵感。目には見えない苦労がたくさんあったはず。強くならなければ守れなかったのかもしれない。仕事の経験だけでは得られない、強さの中にあるしなやかさはそういうことだったのだ。

強さだけでは母の心は折れていたかもしれない。しなやかさがあったからこそ生きる希望を見いだせたのではないだろうか。

生きるって簡単じゃない。だからこそ、しなやかさも必要。母が歩んできた人生が今の母を生かしている。本当の強さが何か、教わったような気がした。