リモートワークは憧れる。だけど私には働くための場所が必要だった

私の仕事は、リモートワークができない仕事だ。コロナ禍でリモートワークが推奨されたときも、毎日出勤していた。
自宅で仕事ができれば、着替えなくて良い、メイクをしなくて良い、など楽だろうと感じることは多い。けれど、私は職場に出勤しなければ仕事ができない人だと気づいた。
リモートワークへの憧れを持ったことはある。出勤時間ギリギリまで寝ていられて、食事や仕事スタイルも比較的自由が利く。満員電車に乗らなくてよい。会社に着くまでの時間を逆算して家を出なくてよい。これまで短縮したいと思っていた時間を自宅にいる時間として使えるのは羨ましかった。私は朝早く起きて、出勤して仕事をこなして、家まで帰る。職場から近いところに住んでいたとはいえ、残業をしたときは特に、その時間さえ短縮したいと思っていた。
ではなぜ私は職場へ出勤するほうが良いと感じたのか。それは、自粛期間の過ごし方が影響している。自粛期間は、多くの人が外出を避けるように呼びかけられていた。必要最低限の外出で、ただそのときに必要なことだけをして過ごす日々。当然自宅で過ごす時間も多くなる。私の自粛期間は、休日になった日だが、自宅でぼーっとしている時間が多かった。
職場から言われた勉強を始めても手につかず、気づけばスマホを手に持ち、なんとなくテレビを見る。BGMのように聞き流しながら、画面をスクロールしながら時間を弄べば、あっというまに1時間、2時間と経っていった。やるべきことを手につけず、時間を浪費するだけの時間がたくさんあったのだ。夕方や夜に後悔し、真っ白な勉強ノートを見つめた。この時間があれば、仕事をしていたほうが有意義な時間だっただろう。明日の仕事を今日こなせてしまえたら良かったのに、そう思う日が何度もあった。
家にいては何もしない。絶対に今やらなくても良いことに時間を割き、仕事など手につけられないと感じた。リモートワークは魅力的だと感じることもあったが、出勤しなければ仕事をしないだろう自分に気づいた。
出社して仕事をすることで、必然と仕事をしなければいけない環境が作られる。仕事をするための場所で、今日こなす仕事が山積みになっている。定時までに仕事を終わらせて、一目散に自宅へ帰るまでがその日の目標だった。自宅とのメリハリをつけたほうが、仕事がはかどる。仕事として認識できる環境を作り、そこに身を置くことが大切なのだとわかった。
実際に今も、エッセイを書いているのはカフェだ。自宅ではどうしても集中力が散漫になってしまい、最後まで書き切る前に違うことを考え始めてしまう。少しお金はかかってしまうものの、作業をするときは必ずどこか自宅以外の場所で進めることにしている。時間を決めて、目的をはっきりさせると、仕事と同じように集中力が生まれる。今日は何をする、どこでする、と決めると、行動力も自然と湧いてくる。早く終われば、頑張ったのだと私自身を褒め、早く家に帰って美味しいご飯を食べられると思うと、時間を有意義に使えたと感じる。達成感を味わえるのも嬉しい点だ。
私にとってリモートワークは、憧れではあったが向いていないと感じた働き方だった。今の仕事についていなければリモートワークをしていたかもしれないが、生活は怠惰になっていたかもしれないと考えると、これでよかったと思う。
今でも出社はめんどくさい。できれば短縮したいと思うけれど、職場で仕事をして、家に帰ってゆっくりして、カフェでちょっと趣味をして、と場所を変えるのは、私には必要だった。自宅にいれば無限に感じてしまう時間も、制限を作れば頑張れる。私はそういう人だとわかったので、リモートワークが主流になりつつある時代ではあるが、職場に足を運んで仕事をする方を選ぶ。これからも変わらないだろう。
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