何歳になっても大切な人のために変化を厭わない人は強いと思う。それは母だ。

私の中で母は天然ボケぎみで行き当たりばったりで生きてきたというイメージだった。今までは娘の私が母の面倒をみてきた。だが、私も30代になり、家庭を持ち、出産した。日々、家事と育児に奮闘する中でふと母のこれまでを振り返り、同時に今を見つめると一言浮かんだのだ。そう、この人強いなと。

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母は私が小学生の頃に離婚し、弟と私を抱えて実家に身を寄せた。専業主婦だったため事務の仕事を始め、子育てをした。その後、専門学校に通い、40代で看護師になった。

ここまででも充分強い人だと思うだろうが、よく娘に泣きついたり、おっちょこちょいなミスをするひょうきんな部分があったため当時の私は自分が面倒をみているという感覚が強かったのだろう。同じ状況になって、さあ同じことをできますかと言われたら多分私にはできない、しない。

私はよく言われるが安牌なことしかしない人間だ。だから私は食いっぱぐれない看護師になったのだ。

そのように大切な誰かのためにチャレンジし変化をしていくことが出来る母は強い人だと改めて思った。そして変化を恐れて何もしないことや安牌な判断を選び、冒険しないことは時に弱いことだと最近、再び気付かされた。

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そのきっかけは最近、母に恋人が出来たことだ。母はもうすぐ還暦だ。相手の男性も還暦、結婚歴あり、成人した子供もいる。習い事から茶飲み友達になり、交際に発展したそうだ。

昨今テレビでも熟年恋愛や再婚が増えていると特集されていたのもあり、話を聞いた時もあまり抵抗がなかった。

私は相談された時、母に自分の好きなようにしていいと伝えた。ただ一方で、今更父親ができたら面倒だとか、介護することになったら大変だとかマイナスなことをあとで考えてしまっていた。職業柄、熟年の内縁関係の男女が揉めているのをよく見ていたのでそれが過ったのだと思う。勿論、母の人生だったので口には出さなかったが。

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その後も割と順調に続いていたが、母はまるで少女に戻ったように交際相手の行動、反応に一喜一憂していた。その恋バナの相手は専ら私だった。私が育休中で暇だったということもあるが、母の相談相手であった祖母が他界していたためその役割の大部分が私になっていた。

母は私から見て変わった。それまではカジュアルなパンツスタイルが多かったが、見たことのないオレンジ色のワンピースや花柄のブラウスを着て、交際相手の前では相手を気遣って一歩後ろを歩くような女性らしさを見せた。ワンピースのオレンジ色が心なしか鮮やかに見えたのは恋愛を楽しむ母が着ていたからだろう。

さて、ではなぜ母が強い人だと思ったか、気付くことができたかという話をしたいと思う。

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私は結婚して現在育休までフルタイムで働いていた。それがなくなって育児が始まった。育児は大変だが職業柄慣れればこなせた。そして、問題が出てきた。育休復帰後の働き方だ。子供を抱えて今までのような働き方は出来ない。かと言って仕事を変える勇気はなかった。

母は専業主婦から看護師になったのだと。そして今も、恋人を作り、相手のために変わる努力をしている。今の私よりも歳を重ねているのにだ。

私は自分が恥ずかしくなった。自分は強いと思っていたが、変化を恐れる弱い人間だということに気づいた。家族のために、人生を楽しむために変化することを恐れず、その為の努力を惜しまない母はとても強い人だと改めて気づく事ができた。

そして、今母となった私も変化の時だ。母のように変化を恐れず、努力を重ねる強い人になりたいと思う。このエッセイ投稿がその一歩になることを祈っている。