何にでも愛着が強い人間だった。

過去形なのは、少しずつ愛着を捨てているからだ。

◎          ◎

愛着が強いのは悪いことではないが、良いことでもない。でも昔の私は、愛着が強いのは良いことだと思っていて、そんな自分が好きだった。

卒業式では絶対に、真っ先に泣いてしまうタイプだった。担任の先生が他校に異動してしまうときも泣いた。だって本当に心から学校が、先生が好きで、ここが私の居場所だと思っていたからだ。それは青春で、私は心から青春を謳歌できる、心が綺麗な人間だと自惚れていた。

高校を卒業してすぐ、地元企業で働き始めた。年齢が近い先輩がいろいろと面倒を見てくれて、何でも教えてくれた。仕事の後に二人でご飯に行くことも度々あった。先輩には何でも話した。そんな先輩が、他部署に異動することになった。

私は泣いた。大好きな先輩がいなくなって、本当に悲しかった。寂しかった。周りの人は、「初めての先輩だから、そりゃ寂しいよね」と言ってくれた。

私が所属していた営業所が、組織改正でなくなることになった。私は泣いた。上司に組織改正を告げられてからその日が来るまで、何度も泣いた。家で、通勤の車の中で、泣いた。ずっとここで働きたいと思っていた。

◎          ◎

そして私は気づいた。私以外誰も泣いていない。会社でいちいち悲しい、寂しいと言っていたら、きりがない。会社の都合で人の配置などいつでも、どうにでもなる。
それでも愛着は捨てられなかった。やっぱりどこかまだ、アイデンティティだと思っていた。

だから次に配属された部署でも、やっぱり愛着の強い私だった。
新しくパートの方が入ることになり、私が担当していた仕事の一部をパートさんが担当することになった。その仕事に誇りを持っていた私は、人知れず泣いた。もっともっとその仕事を極めたいと思っていたから、悔しくて仕方なかった。

上司が他部署に異動することになったときも、やっぱり私は泣いた。仕事の相談もプライベートの悩みも聞いてくれて、お父さんみたいな存在だった。

◎          ◎

そんなことを繰り返すうち、鬱病になった。休職することになった。
最初は、まさか愛着が原因のひとつだとは思いもしなかった。他の休職者と話したり、カウンセラーとの面談を重ねるうちに気づいた。職場、仕事に対しての愛着が強すぎる。そしてその愛着は必要ない。淡々と仕事をこなせばいいだけだ。

復職してからは、不思議と会社に対する愛着がなくなっていた。
人事異動も、会社を回していくために必要だと思うようになった。
するとこれもまた不思議なことに、人の粗が見えるようになった。今まで、自分以外の全ての人間が優れていると思っていた。しかしそんなことはなかった。尊敬する上司・先輩も、尊敬できる部分もそうでない部分も持ち合わせていることに気づいた。

会社を辞めたいと思うようになった。
人々の噂が飛び交い、一度休職した人間は色メガネで見られる。そんな会社にしがみつこうとしていたのは、会社に対する愛着、もっと言えば執着があったからだ。

目が覚めた私は、転職を決意した。
上手くいくかわからない。上手くいく自信もない。それでも今の会社で何度も体を壊してまで働くのはもうごめんだ。愛着の強い自分を卒業した私は、一歩踏み出した。