20代のほとんどは、水商売をして生計を立てていた。高校を卒業し、やりたい事もなくふらふらしていた私は、地元の駅でスカウトを受け何となくホステスとして働き始めた。いざ働いてみると、まずお給料の高さに心が躍った。そしてキラキラなドレスやネイルを楽しみながらお喋りし、お給料を「仕事」の名目で全額自分磨きに注ぎ込めるその仕事は、私にとって天職だった。

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25歳の頃キャバクラからラウンジへ移りチーママの肩書きを貰った。人生で初めて職場で肩書きをもらい、名刺を差し出すたびに、「まだ若いのにチーママなんてすごいね」と驚くお客様の反応が嬉しく、そして誇らしかった。

しかし28歳の頃、コロナウイルス感染症が流行し、私の働いていた店も余儀なく休業となった。「働き続けていたし、人生の夏休みだと思ってゆっくりしよう」と最初の一年は気楽に考えていた。しかし1年経ってもコロナウイルス感染症は収まることなく、減る一方の貯金の他に、30歳という節目が見えてきたことで、夜の世界での生き方を嫌でも考えさせられ、人生そのものに段々と不安が大きくなっていった。

しかしこれと言って解決策は浮かばず、ぼーっとSNSを見ていた時、おすすめに出てきた看護師資格を持つホステスに釘付けになった。一昔前とは違い、最近のホステスは、看護師や経営者など二足の草鞋で働いている人が多くなってきたことは薄々感じていた。

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こうして毎日不安を感じながら、ただベッドの上でSNSを見ている位なら、私も資格を取って手に職をつけよう。もしもこのままウイルスが収まらず、ホステスという仕事が出来なくなったとしても、絶対に無くなることのない医療の資格を。

一念発起してからの私の行動は早かった。すぐに全国の看護学校のパンフレットを取り寄せ、学費や国家試験合格率を比べ、そして出来れば社会人の学生が多いところ……と探して一つの学校に絞った。2019年夏に学校を探し始め、その年の秋には、小論文と面接試験を受け、無事合格通知を手にした。

入学後は、現役・同年代関係無く、多くの友人達に支えられながら勉強・実習をこなした。段々と、学校の行事を楽しんだりアルバイトと両立しながら勉強する余裕もでてきた。もちろん全てが楽しい思い出ばかりではない。ホステスとして働いていた当時と比べ、収入は大きく減るばかりか、毎年100万円以上飛んでいく学費に苦しんだり、実習にいくたびに、看護師に向いていないのではないかと、壁にぶつかった事も何度もある。

集大成である国家試験のプレッシャーに負けそうになり、謎の発熱と全身の発疹を起こした事もあった。しかし「もう、不安を抱えながら部屋に籠ってぼーとSNSを眺めるあの生活には戻りたくない!」その一心で3年間をやり抜き、無事今年の春卒業証書と国家試験合格通知を手にした。

そして現在コロナウイルス感染症は落ち着いたが、私はホステスには戻らず病院へ就職した。まだまだ新人で、右も左もわからないが、救命病棟で第一線で活躍できる看護師になりたいという目標ができたからだ。

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3年前には先が見えず、不安に駆られ、泣きながら母に電話した事もあった。ホステスという不安定な仕事に就いたことを後悔した日もあった。しかし、私は、自分の力で立ち上がりホステスと同じくらい夢中になれる、誇りを持てる仕事を見つけた。

3年前に喉から手が出るほど欲しかった「手に職を持っている安心感」。

それよりも言い表すことの出来ないほどの達成感と、これから先何があっても立ち上がれる自信を得た。

自分でも笑えるくらい想像できない人生を歩んでいるが、転んでもただでは起きないたくましすぎる自分が誇らしくて大好きだ。そして次は何をやらかすのか、良い意味で先が見えないこれからの私の人生が楽しみで仕方ない。