私らしさは難しい。万華鏡のような私は自分にも人にも柔軟に生きたい

私は私のことをそこまで知らない人から「〜ちゃんらしいね」「〜ちゃんらしく頑張ってね」と言われることや、私らしさを決めつけてくる人たちが嫌いです。
そもそも、自分の「らしさ」とは何なのか、なにをもって「らしい」のか私にはわかりません。私は子供の頃とてもおっとりとしなにも考えていない子供だったそうです。それが、年齢を重ね色々な経験を積むようになると、とてもせっかちで深く考えすぎてしまう子供の頃のイメージとはかけ離れた大人になりました。
しかし、今でもお母さんは「考えながら行動しなさい」と言います。お母さんにとっての私らしさとは「いつもなにも考えていない平和な子」なのでしょう。私は中学生の頃とても冷たく、みんな敵だと思い込んでいる反抗的な中学生でした。
おっとりとなにも考えていなかった私にとって中学校と言うのは私の性格を大きく変える要因となりました。クラスや学年には派閥やカーストが存在し、みんな強い子に付いて行かないといけないと必死でした。部活でも、その派閥やカーストは付き纏いクラスでずっと一緒にいた仲が良い友達も部活では私とは一緒にいようせず強い子に付いて行きました。
また、部長を決める時でさえも真面目でしっかりと練習をし後輩から尊敬されている部長志望の子ではなく部内で1番強い子にメンバーや先生までも票を入れる始末でした。
そんな平和ではない世界を見た私は、誰も深く信用してはいけない時もあると悟りました。中学生の私を知っている子たちからすると、私らしさとは「気が強く冷たい子」なのでしょう。
私は高校生の頃、ただ関わった全ての子と友達になりたいと願う子でした。高校1年生のクラスでは見えないカーストや派閥はあるものの誰もが仲良くなりたい子と仲良くなり一緒にいるような平和なクラスでした。
しかし、高校2年生に上がってクラスが変わると状況は変化し同じ中学校の仲があまりよくない子と一緒になってしまいました。私の高校は学力の関係でそのまま変わらないクラスが存在し、私とあと6人くらいの生徒が2年生ですでに完成されたクラスに所属することになります。
ただでさえ、完成されたクラスに溶け込むのに時間がかかるのに、その子によって最初の私の評判はあまり良いものではなりませんでした。
しかも、同じようにクラスを変えた仲の良い男の子は人の悪口をなにも考えず大きな声で話すようなガキ大将のような子で、私がいくら大きな声で「そんなことない」と言い続けても一緒に悪口を言っていると思われているようでした。3年生でも同じクラスに所属することになります。
私から話しかけて私の性格をちゃんと知ってもらえた子も増えましたが、中学校が同じ子と仲の良かったグループや派閥の子たちからは私のイメージを払拭するすべはなく高校を卒業することになりました。
私はどれだけ仲良くなりたいと思っても相手からも寄り添ってもらわない限り仲良くなれないと悟りました。きっとそのクラスの子たちからすると私らしさとは「陰で悪口を言うくせに仲良くなりたがってる子」なのでしょう。
いつも遅刻せず提出期限を守っている几帳面な子も、家では脱いだ服も脱ぎっぱなしで部屋も荒れてるずぼらな子かもしれません。性格も誰かの言葉や経験で変わっていくように、私らしさも状況によってわかっていくものだと思います。
私らしさは、誰かにとって私という存在をイメージする際の材料になりますが、私らしさは「これです」と断言し続けることは難しいと考えています。私らしさに囚われず、時に柔軟に時に自分らしく伸び伸びと生きていきたいし、私自身も誰かにあなたらしさを求めるのではなくどんな姿もあなただよと言えるような私になりたいです。
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