私のメガネは虹色メガネ。明るく輝くメガネで今日も世界を見る

「サラブレッドですもんね」
先輩の教員から言われた言葉だった。
ご両親ともに教員だから、苦労せずに教員になれた。
仕事だって何をやればいいか理解していて、簡単にできるんでしょ。
陰でこそこそ言われたり、直接言われたり、そんなこと当たり前の職場だった。
他の教員と比べられることも、教員の娘ということで両親と比べられることも、高学歴の姉と比べられることもあった。全部全部、なんなんだって思っていた。
サラブレットだから、女だから、若いから、今まで生きてきた30年余りの人生で、何度も何度も思った。
本当の私を知らないくせに。
私の両親が教員だったことは紛れもない事実だ。でも、それと私が仕事内容を理解しているか、教員になりやすかったかは違う。そもそも私の母は幼稚園で、父は中学校で勤務していて、私は小学校。違うところで違う仕事をしている。それでも私はサラブレッドと言われた。
しかし、私は仕事の中身を知らない人だった。有給の取り方も知らず、8年間も有給を捨ててしまっていた。おそらく知っていると思われ、説明されなかった。印刷機やパソコンの使い方だって、ご両親もよく使っているでしょうし、知ってますよねと。バイト先で印刷機を使っていたため、わかってはいたが、社会人1年目にもかかわらず、全部が知った程で物事が進んでいった。
正直辛かった。自分で勉強したり、経験したりしてきた知識や技術も、両親から与えられたものとして認識されてしまう。そして、できなかったら、ご両親が教員なのに知らないの?という目で見られる。いつもプレッシャーの中生活した。できたらできて当たり前、できなかったらなんでなの?という奇異の目で見られ、どちらにせよいい風に捉えられない。
私の知識であって私の経験であって私自身の問題なのに。私は私なのに。
きっとそんな風に感じるのは私以外にも数えきれないほどいると思う。
女だから、男だから、共働きだから、専業主婦だから、若いから、若くないから……偏見は数えきれないほどある。
そして、そんな私も色メガネで見ている。
特別支援学級の子どもだから、〇〇さんの妹だから、入ってくる情報によって左右される考え。少なからず感じてしまう、やっぱりかという気持ち。たくさんの情報が飛び交う中で、統計的に見たら、この考え方だって根拠がないわけではない。……でも一人ひとり持っているものは違う。
勝手に決めつけてはいけない。偏見だってわかっている。わかっているけど。私も結局は、私を苦しめた目と同じ目で見ている部分もある。
でも、自分が色メガネで見ていることを自覚した上で、心がけていることがある。なるべく負のイメージの色メガネで見ないようにすることだ。
自分が負のイメージで見られてきたからこそ感じたことである。
だから、私の色メガネはキラキラしたものにしよう。周りからバカにされることもあるけれど、私は今の自分の色メガネが好きだ。
特別支援学級の子どもたちは、素直でとってもピュアでキラッキラでステキなのだ。男性でもかわいいって思えるし、女性でもかっこいいって思える。全然おかしなことじゃない。
周りから見たらどう考えても可愛く見えないようなぽっちゃりな夫をこの上なくかわいく見えている。私よりも背の高い姉だってとってもかわいいって思えるし、はっきり意見を言える姿はすっごくかっこよく見える。
色メガネで見るという言葉自体が、どこか負のイメージを持たれやすい気がするが、それも私にとっては言葉の偏見に思える。
色メガネを虹色で見えることにしたい。キラキラで綺麗なメガネにしたい。だから私は明るく輝く偏ったメガネで今日も見る。
今日のメガネは何色かなぁと。
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