還暦を迎えた母の言動に「あれ?」と感じること、つまり母の老いを感じることが増えた。例えば歩く速度の遅さ、体力の無さ、テレビの音量……。白内障の影響で右目の視野が狭くなり、自転車に乗って買い物に行くことに少し恐怖心を抱くようにもなったそうだ。大学を卒業しても母の身長を抜けなかったのに、いつの間にか私の方が肩の位置が高い。いろいろなことが難しく、できなくなってきたことが増えてきた母の小さくなった背中を見ていると、ちょっとしたことでどこかがぽきりと折れてしまいそうで、思わず目をつぶってしまう。弱々しい母を認めたくなくて、ため息が出ることもある。

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第三者からすると、身体が小さくなり、できないことが増えている母は弱々しくみえるだろう。しかし、私の母にもたくましく、強いなと思うところがある。
私の両親は結婚後、父親が勤めていた会社の都合でカナダへ引っ越すことになった。当時、母は私の兄を妊娠中だったため、父親だけ単身赴任というのも少し考えたらしいが、生まれたばかりの子供に会えない日が多いと父子の距離が広がってしまうのではないか、そして父のカナダ赴任も何年続くかわからないということもあり、母は勤めていた会社を辞めて父とともにカナダへ移ることを決意した。

カナダには身内も友人もいない。仮に日本に住んでいても、母は小学生の頃に自分の母親を亡くしているため、妊娠中の体調の変化や出産への不安な気持ちを打ち明けられる人が身近におらず、自分一人で対処するしかなかったと思うが。

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また、当時は平成初期だったため携帯電話やスマホもない。今のように、周りに親しい人がいなくてもSNSで仲間を見つけられる環境ではなかった。まさに「独り」だった。
幸い、母は短大時代の専攻が英語だったため、スーパーでの買い物中や病院の検査の時に話しかけられたら対応することができた。「カナダ人は本当に優しい。特に妊婦にはドアを開けて待っていてくれたり、荷物を車まで運んでくれたり、膨らんだお腹を見て『きっとかわいい子が生まれてくるよ』って言ってくれたり。そういう支えがあったから、カナダでの出産と子育てへの不安もだんだん少なくなってったんだよね」と話していたことがある。自分が周りに馴染もうと頑張った、と言うのではなく、周りのおかげだという母。自分でそのことに気がついているのだろうか?と、今思い出すと目頭が熱くなる。

身内も友人もいない異国の地、しかもSNSもまだ発達していない時代に出産、子育てをした母のことを、本当に強いなと思う。私が「実は私、カナダ生まれなんだ。小さい頃までだったけど、帰国子女ってやつなんかな」と言えるのも、このたくましい母のおかげなのだ。カナダ生まれだと話すと「すごいね!」とこれまで何度も言われ、子供のころは自分がすごいんだと思っていたが、歳を重ねるにつれて、私の母がすごいんだと思うようになった。私は母のお腹から出てきただけなのだから。

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兄と私、2回ともカナダで出産し、計10年カナダで生活をした母。企業の管理職になったことも、起業したことも、何か一つの物事を究めてスペシャリストになったわけでもない私の母。でも、私は母のことを誰よりも尊敬している。母のようなたくましさ、強さが私にもあるのかな。今のところ、私は独身で出産も子育てもしたことがないが、母のこの強さに近いものとして、1人で海外旅行をする点は挙げられるかもしれない。1人で海外旅行をする私のことを母は「かっこいいなぁ」と度々言ってくれるが、それはあなたのおかげなんだよ。あなたの子供だからなんだよ。

今年の母の日は、このエッセイに書いたことを伝えてみようか。恥ずかしいし、泣いてしまうかもしれないけど、弱々しくなってきた母に、あなたはすごい人なんだと伝えたい。絶対に伝えよう。