さよなら地元と弱い私。東京という希望を手に入れた私は、もう負けない

絶望と諦めでボロボロだった私に手を差し伸べてくれたのは、他でもない、東京という日本の大都会だった。
就活をするまで、私は地元が私に合っていて、きっとこのまま住み続けて、地元しか知らないおばあちゃんになると信じて疑わなかった。だけど、それはきっと幻想で視野の狭さゆえの思い込みだった。
これまでの経験で仕事選びを間違うと人生は狂ったまま底から這いあがれなくなると知っていた。だから、安定している公務員やインフラ業界に絞って見ることに決めていた。長期のインターンで闇を見て引き返した公務員への道を閉じた後、大学で専攻していた英語を使える国際物流に興味を持った。
そこから広げて精密機械のメーカーのインターンにも参加したのだが。物流や精密機械メーカーはいまだに男性が多いという事実が私を容赦なく打ちのめした。自分の大学のOGを多く採用している物流の会社、実は現場に女性用のお手洗いがなく、30分歩いてお手洗いまで行くか、社用車についている簡易トイレを使うそうだ。精密機械メーカーでは、面接で本当に駐在できる?結婚しないの?旦那さん置いていくの?と聞かれたりした。
「男女はもう平等だ」なんていわれることもあるけど、それは嘘だ。絶対に違う。男性が当たり前に享受できる権利を、女性であるだけで手にすることができない。ホワイトで良いとされている会社、安定している離職率の低い会社に女性は入ることさえ許されない。
実際自分の周りで良いお給料をもらえている女性は、1日に100本以上電話をかけ、毎日九9時まで残業していたりする。それはインセンティブで稼いでいるだけで、30代以上は体力が続かず辞めてしまう人の多い会社だ。
ただ、私には一つだけ希望が残っていた。それが、東京に行くという選択肢だった。真面目に就活している姿とは結びつかないとよく言われていたが、私はマッチングアプリで男性を都合のいい遊び相手にしていた。そこで出会った人には東京から来た人、東京から戻ってきた人がいた。大阪や神戸などの人もいたけど、東京は魔力があるのか、戻りたいと言う人が多かった。男性からすると年収が相当高くないと家賃の上がる東京で生きていけない、結婚できない家族を養えないと敬遠する人もいた。でも、それをひっくり返すと独身が多くなりがちで会社も上京する人を採用するならある程度基本給や家賃補助を高くしないといけないということだ。結婚が自分を幸せにしてくれない未来がとっくに見えていて、余裕はなくとも自分1人を養って生きていけばいい私を歓迎してくれているみたいだった。
それからも紆余曲折あったけれど、なんとか小さなITの会社に内定をもらえた。来年からは東京か神奈川で仕事をすることになった。
本当のことを言うと、当初行こうとしていたホワイト高給、駐在に女性が多く行っている会社はESであっさり落ちた。2年からインターンに参加してこれかと思うと同時に、私の実家の近くにも大きな拠点があり、そこに配属されることを思うと毎日吐きそうだった日々から解放された。
ああ大学の勉強が無駄だ、一からITをやらないと、絶望したけれどそんなことはなかった。ITパスポートで出る用語はほぼ英語の略語だし、ITの会社でも昇格にはTOEICの一定以上の点数がいるらしい。
私が男女の格差と地方の価値観の古さに苦しんだのも、泣いたのも、転勤のない小さな会社で、東京で結婚せず生きていたいと願ったのもその全部が私のもので、もう誰にも否定なんかさせない。○○ちゃん(私)大学受験失敗したならその分大きな会社に入らなきゃ(地元の名前)はすごく住みやすいよ、どうして捨てるの?結婚はどういう事情があってもしないとねとかもう全部いい、いらない。
私の全てを把握したがって私が心のバランスを崩した原因の祖父母の過干渉が、最近ぱたりとなくなった。東京でもどんな会社でも、健康に気を付けてやりたいようにしなさいとまで言っている。もうあの頃の弱い私はいない。さようなら地元と弱い私、こんにちは東京と強い私。
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