動悸と息苦しさが続いていた。2ヶ月苦しんだ上、病院で告げられた診断名は「パニック障害」。日中は薬を飲んだり、何か活動をしてなんとか気を紛らわせていたが、夜、1人で布団に入ってからの時間は地獄だった。

眠れてしまえばいいのだけど、うとうとしてきても、ふと過呼吸が込み上げてきて意識が叩き起こされる。明るくなるまで、朝が来るまであと何時間?すがる気持ちで何度もスマホを光らせ時間を確かめた。だいたいは長くても30分ほどしか経っていないのだが。

暗くて静かな夜は、孤独に苦しさに耐える時間だった。自分の呼吸にばかり意識が向き、ちゃんと吸えているか、吐いているか、そればかりを考えていた。ちゃんと呼吸をしようとすればするほど息苦しさは増す一方で、この時間が永遠に続くような気がしては絶望していた。

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そんな苦しい朝までの時間を救ったのはラジオだった。

家族を起こさないように、小さな小さな音でラジオをつけた。呟くように、生身の人間の喋り声が聞こえてきた。パニック状態の私には内容までは頭に入ってこなかったが、小さな喋り声を拾おうと息をひそめるようにしてみたら、だんだんと呼吸が落ち着いてきた。

それまではラジオを聴く習慣はほとんどなかった。ドライブのお供はいつも音楽だったし、勉強や作業をする時も、無音でないと集中できないタイプの人間だった。ラジオを聴くという選択肢がまるでなかったのだ。「ラジオ=雑談」というイメージが強く、わざわざ時間を取ってゆっくり聴くなんて時間がもったいないと思っていた。

動悸と息切れで苦しい私のもとに、知らない人の声が届く。私を気にかけるわけでもなく、淡々と喋っている。これがとてもありがたかった。

パニックに陥っている時に声をかけられても、私は喋れないことが多い。心配されたり過剰に気にかけられると早く回復しなきゃと焦ってしまい、さらに回復が遅くなる。かと言って、無音の中1人で耐えるのもつらい。そんな私にラジオはピッタリだった。

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夜、小さな音でラジオを聴く。少しずつ不安や緊張が薄らぎ、正常なリズムの呼吸が戻ってくる。そうするとちょっとうとうとしてきて、ラッキーな場合そのまま少し眠れたりする。そうやって少しずつ、朝が来るまでの時間をやり過ごした。

しばらく経ち、夜の間に苦しくなることはだいぶ減った。完全にパニック症状が出なくなったわけではないが、もうラジオを聴かなくてもなんとか眠れるようになった。

ではラジオは聴かなくなったのかというと、そうではない。最近は娯楽としてラジオを聴いている。雑談もいいじゃないか。そんな心の余裕も生まれたらしい。それに、意外と有益な情報も入ってくる。生身の人間の声、というのも、温かみがあって安心する。

コロナ禍だったときラジオを聴くようになった友人が周りに増えたが、今ならその気持ちがわかる。朝が来るまでの相棒だったラジオ。これからは日中もお供として愛用しようと思っている。