私を避けるようになった大好きな先生。もし会えたら、あの本の続きを

小学3年生になって、私は登校を渋るようになった。新任の担任の先生は、不安がちな私にとっては頼りなく、私の不安は募るばかりだった。
4月の中旬には、「学校に行きたくない。担任の先生が嫌だ」と母に訴えかけた。すると母は通学路の途中まで私に付き添ってくれるようになった。T字路のところまで来たら母とはお別れ。笑顔で見送る母のほうを何度も振り返りながら涙がこぼれるのをこらえて通学していた。
しかし、ゴールデンウイーク明け、私はとうとう1人で学校に行けなくなった。母は「学校に行かなきゃダメ」と言って、嫌がる私を引っ張って学校へ連れて行くようになった。しかし、私はもう教室に入ることはできなかった。
そんなとき、私に優しく「おはよう」と声をかけてくれたのはS先生だった。S先生は私が1、2年生のときに生活科の授業でお世話になった年配の女性だった。1、2年生のとき、S先生は男子からちょっかいをかけられていた私を気にかけてくれ、私はS先生が大好きになった。
泣きながら母に連れられ登校しても、「よく来たね」とS先生があたたかく出迎えてくれると、なんとか母と別れられた。
しばらく私は、母と一緒に登校し、S先生に迎えてもらう日々を送った。教室には行かず、保健室や空き教室で過ごした。授業が入っていないときはS先生、それ以外のときは養護の先生に見守られて自由に過ごしていた。
やがて、私と母はスクールカウンセラーに相談するようになった。ある金曜日の放課後、最初に私だけがスクールカウンセラーと話して、今度は母だけがスクールカウンセラーと話した。母がスクールカウンセラーと話している間、私は保健室でS先生と過ごした。
しばらくS先生とおしゃべりをした。何を話したのか覚えていないけれど、穏やかな時間が流れていた。それからS先生は「絵本を読んであげるよ」と言って、保健室に置いてあった『となりのせきのますだくん』を読み聞かせてくれた。
物語の中盤くらいまで読んでもらうと、母のカウンセリングが終わったようで、母が保健室にやって来た。S先生は「続きはまた今度ね」と言った。
その「今度」は永遠に来なかった。
次の週、母に連れられ学校に行ってもS先生は迎えてくれなかった。職員室から顔を出してくれることさえなかった。代わりに以前から知っていた音楽の先生が私をギュッと抱きしめてくれた。「S先生は?」とは聞けなかった。
S先生が迎えてくれなくても、他の先生の優しさで、私はギリギリ登校していた。教室には行けなかったが、保健室や他の教室で一日を過ごしていた。
一方、S先生は廊下で私とすれ違っても何も言わなかった。まるで私を避けるように足早に去っていった。私とS先生が話すことは全くなくなった。
その後、私の状況は改善したり悪化したりを繰り返していった。担任以外の先生が行う授業に参加したり、給食だけ教室に行ったりできたこともあった。年度末になると、概ね教室で授業を受けることができた。
私が教室に行けるようになってもS先生は私を無視していた。あれほど大好きだったS先生が遠い存在になったような気がして悲しかった。
3年後、私は偶然S先生を街中で見かけた。「S先生!」と呼びかけようと思ったが、声が出なかった。怖かった。
S先生。今は何をしていらっしゃるのでしょうか。もしもう一度S先生にお会いできるのなら、「どうして私を避けるようになったんですか」と伺いたいです。S先生は私のことが嫌いになったんでしょうか。
それでも私は、「S先生が大好きです。『となりのせきのますだくん』の続きを読んでいただけますか」。
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