人生初めての梅雨の思い出は小学一年生だ。

六月六日に雨の中マンションの同級生らと一緒に登校したことを今でも覚えている。六月六日に雨ザーザーという歌があったなと思っていたような記憶がある。傘のボタンを一緒に押したら雨が止まるのではないかという小学一年生らしい発想を生み出し、一緒に押しながら学校へと向かった。

梅雨と聞いて次に思い出すのは高校一年生だ。

高校一年生の六月、部活でグループのリーダーをしていた。今思えば、リーダーという役割は、あまり目立たなく、人の心の内を常に想像によって補っている私にとって負担だった。

何故リーダーになったのかというと、それまでの三年間で主要人物はリーダーを既に経験しており、三人くらいしか残っていなかったからだ。まあ、やってみるかという思いと三年間でようやくダンスに慣れて来たという感覚があったからだ。

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初めはそれなりに皆の反応も良く、上手くやっていた。

しかし、先輩に曲の案を提出するとすべて却下。コンセプトも変えるよう指示された。やりたいジャンルの違いにより、摩擦が生まれた。言葉には出さなかったものの、同じクラスの同期との気まずさも生まれてしまった。

また、そのうちに試験が近づいているという焦りが私を襲ってきた。第一回定期考査でその前の定期テストから三十位も順位を落とすという失態をおかしていたため、挽回したかった。しかし、部活により、勉強する時間がない。

六月十三日くらいまでは冷静を保っていた気がする。しかし、週明けの十五日から私は狂った。テストまで後三週間を切ったのに何も勉強していないという焦りからお昼休みはご飯も早々に切り上げ、図書館へと走った。図書館で勉強できる時間はせいぜい四十分で焦燥感に駆られ、あまり集中できなかった気がする。

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リーダーになったからには部活にはいかないといけないので行き、指示を出した。しかし、案の定自分の意見にそぐわないと感じているメンバーも一定数おり、不満の表情や言動も散見された。そのような行為を見るたび、心が張り裂けそうになった。苦しくて逃げだしたくなった。

二週間前の自分に戻ってリーダーに立候補した事実を消したい。せめて副リーダーだったら責任が減るのに。

今になってまずかったと感じるのはリーダーになったからには自分が一人率先して動かなければならないと感じていたことだ。責任感がひとりでに空回りしていた。

皆の意見をきちんと聞けていたのか。せっかちで優等生のふりをしている私は早く進めなきゃ、先輩の意向に反しない形にしなきゃと思っていた気がする。そのあまり、周りが見えなくなっていたのではないか。

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ちょうど梅雨の時期だった。部活中にも雨が度々降って、その雨は私の心情を表しているようだった。昼休みに図書館で勉強していた時ふと仰いだ空が雨雲だったとき、孤独感が私の心を覆った。深海に一人取り残された気分だった。

私はどうしたらいいの?このままじゃ、部活も勉強もダメになっちゃう。もっと完璧で優秀で充実した高校生活を送るはずだったのに。半年前はうまくいっていたのに。戻りたい。やり直したい。私の味方になってくれる人はいないの?相談できる友達もいない。相談しても悪口を言われるかもしれない。もうだめだ、どうしよう。全部やめたい。

そんなことを想いながら、孤独と戦ってテストまでの約十五日間を耐えしのいだ。テストの最終日の後の部活。ここが一番の山場だった。

部活で曲を変えたいという話が上がり、一から作り直すという危機感が私を襲った。結局話し合いをしてもまとまらず、先輩に報告をしても明確な返答は得られなかった。

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限界だった。私の心は悲鳴を上げ、一目散に帰路を急いだ。家にも帰りたくなくて最寄り駅で少し泣いた。幸いにも梅雨はまだ終わっておらず、雨の日だった。傘で顔は隠れて雨が私の涙をごまかしてくれた。

家に帰ってすぐ電気もつけずに幼稚園児に戻ったみたいに号泣した。十分くらい泣き続けたと思う。もうヤダとか逃げたいとか言いながら泣いた。あんなに泣いたのはあれ以来ないかもしれない。それくらいあの日の事を覚えている。

最後には泣いて少しすっきりして、「何も解決してないけど頑張る」と言っていたような気がする。あの日から立ち上がって、無事リーダーの役割を最後までやり終えた。後悔も残っているが、最後まで頑張ることができたことは自信につながっている。
梅雨にあまりいい思い出はないかもしれない。でも、雨は私の涙を濁してくれた。傘は私を人目から隠してくれた。そう考えると、雨の果たす役割も見えてくる。

「虹はいずれ消えるけれど、雨は草木を育てていたんだ」。高校一年生のとき私に降った雨は私の心の土壌を少しは強く、肥沃なものにしてくれたかもしれない。