雨が続く梅雨はいろんなことが億劫になりがちだ。出かけるのにだって傘を持ち歩かないといけないし、洗濯物も乾きにくい。天気予報をみて予定やちゃんとした準備をしたって、思い通りにいかなくて落ち込んだり、面倒事の多さと春の疲れからとにかく何もしたくない季節だったりする。でも、そんな季節のせいにできるからこそ、ちょっと気になっていることを調べて挑戦してみたり、ゆっくり英気を養ったり、一年の春夏秋冬の中で一番、頑張らなくても諦められる季節でもある気がする。

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私がそう感じるきっかけになったのは、高校2年に進学した時に経験した小さな出会いのおかげだ。高校生活も2年目になると何とか希望の高校に進学し学校生活にも慣れてきたころで、でもすでに周囲は次の目標となる大学受験を見据えて、選択教科や受験勉強が始まっている、そんな時期だ。今、振り返れば誰しもが確固たる目標や希望があった訳ではないとわかるけれど、当時の、目標や好きな科目得意な科目もなかった私は周囲からどんどん離れていく気がして学校に行くのが苦しかった。別に行くなくないとか勉強が嫌いとか、そこまではっきりしたものですらなくて、ただその日一日が何もできずに終わっていくことが怖くて仕方かった。

同じクラスの誰々さんは、どの大学を志望してオープンスクールの準備をしているとか専門学校に行く予定とか。進路を決めてその目標に向かっていけるなら気も楽だったのかもしれないが、目標の見つけられない私は、出来る限り広い範囲を、出来る限り効率的に勉強することに躍起になっていた。

そんなときに、見つけたのが学校への通学路に咲いていたアジサイだった。毎日毎日、通る道だからこそ、徐々に花が開き、色づき、変色して、枯れていく、その流れをつぶさに観察することができた。高校1年の時も咲き始めの最初のころも、ただ咲いているなと通り過ぎるだけだった。でも、模索するだけだった辛い日々のなかで、日を追うごとに変化していくその花を眺めている過程は、私もこんな風に変化しているのかもしれないと思わせてくれた。

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アジサイのように梅雨の期間にだけ咲いて枯れるわけでもない私の変化は、ゆっくり過ぎて気づけないだけ。アジサイの花が突然満開になったり色が変わったりすることがないように、私が何もない日々をただ無駄に過ごしているように感じていても、どこかしらが少しずつ変わっているかもしれないと、突然に何者かにはなれないのだと気づいた。

いつまでも休んでいるわけにはいかない。でも、それと同じようにいつまでも頑張り続けることもできないと思う。疲れたのは頑張ったからだし、うまくいかないのはタイミングが悪かっただけ。同じ環境に閉じこもっで決まった努力だけをしていたってうまくいくわけではないから、一年で梅雨の間だけ、季節のせいにしてゆっくり休む。その中で作られた思い出や失敗、後悔だって彩の1つになるし、変化の遅い私なら1つの花が咲いて散るくらいの間の寄り道を取り戻せると信じたい。