あれは、もう10年も前のこと。私がまだ小学3年生だった頃、毎週一度、ピアノ教室に通っていた。

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レッスンは毎回、夕方の17時から18時まで。学校が終わって家で一通り練習してから、私はピアノの先生のもとへと向かっていた。

あの日は6月。梅雨の真っ只中だったけれど、まだ蒸し暑さはそれほどでもなく、少し肌寒さも感じるような日だった。
そして6月は、人が少なく高速道路が混まないという理由で遠く、九州から祖父母が遊びに来ていた。祖父母は当時70代。頭もしっかりしていて、自分たちで車を運転しながら、あちこち旅行しつつ東京まで来たのだという。

私がこの日を懐かしく思い出すのには、ちゃんと理由がある。

いつものようにピアノのレッスンを終えて外に出ようとしたとき、空はすっかり暗くなり、雨が降っていた。
晴れていたはずなのに、私は傘を持っていなかったのだ。

先生が「親御さんを待ちますか?」と優しく声をかけてくれたけれど、私は首を振った。
「今日はおじいちゃんとおばあちゃんが遠くから来ているの。だから、早く帰りたい!」
そんな気持ちが私を急かしていた。

先生の教室の扉を開けた瞬間、私は思わず立ち止まった。
そこには、傘をさして私を待っている祖父の姿があったのだ。

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「いいピアノだったね」

そう言ってくれた祖父。どうやら、外まで私の弾く音が聞こえていたらしい。
迎えにきてもらえたことが私はとても嬉しかった。両親は仕事で忙しく、迎えにきてもらえたことはなかった。

さらに、祖父の肩は少し濡れていた。手も冷たかった。私のことをずっと待っていてくれたのだろう。私はそれが嬉しくて、胸があたたかくなった。

あの日の光景を思い出すたびに、懐かしさと共に、少しだけ寂しさを感じる。
祖父があの日、私を迎えに来てくれたのは2年ぶりくらい月日が経っていた。それにも関わらず、地図も持たず、迷うことなくピアノ教室に現れた祖父。きっと場所を覚えてくれていたのだ。

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あれから10年。
祖父は少しずつ変わった。今は認知症の初期症状があり、最近では私の名前が出てこないみたい。私のことを祖父の妹の名前で呼ぶことや娘の名前で呼ぶ。孫の名前を呼ぶことはすっかりなくなった。

そして、私はいつの間にか、「迎えに来てもらう側」から「迎えに行く側」になっていた。
今日も祖父の通院に付き添い、リハビリの様子を見守っている。

梅雨になるたび、あのやさしく頼もしく傘を持ち迎えにきてくれた。そんな祖父の姿を思い出す。

今では思うようにいかないと怒鳴る。私の知っている祖父は大きな声で怒鳴ることはなかった。喧嘩しても覚えているのは私だけ。祖父は怒って自分の部屋にこもっても、1時間経てば何もなかったかのように私におやつの時間はまだ?って聞いてくる。

私はあの日のことが懐かしくてあの頃の祖父が戻ってきてほしいといつも思っている。
あの日の記憶は、今も私の心の中で静かに残り、私の中では今でも雨が降り続いている。