私が1番憧れている人、それは私のおばあちゃん。

おばあちゃんは、すべてを包み込んでくれるような温かい優しさと、びしっとした芯のある強さを兼ね備えているそんな人だ。

おばあちゃんは、仕事をする母の代わりに私の面倒をみてくれた。小さい頃「わたしには2人のおかあさんがいるんだ」と友達に自慢していたくらい。

そんなおばあちゃんに、小さい頃から言われ続けている言葉がある。それは「1人でも生きていける強さを身につけなさい」。

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18歳で結婚し出産したおばあちゃんは、看護師になりたいという夢があった。「家族が大切だから、夢を諦めるしかなかった」とゆっくりと少し悲しそうな声で話してくれたことがあった。

「家族が大切」と言ったおばあちゃんは、いつも自分のことより家族のことを優先に行動していた。そんな優しいおばあちゃんが大好きだった。だけど幼い私は「夢を叶えて欲しい」という気持ちもあった。

私が中学生になったことをきっかけに、おばあちゃんは「ヘルパーの資格を取得したい」と家族の前で話してくれた。私と母は大賛成をした一方で、少し昭和気質のあるおじいちゃんは、表向きでは賛成しているけれど、快く思っていないようだった。

それからおばあちゃんは今まで通り家事を完璧にこなしながら、学校に通い、資格を取得した。資格取得後は、私たちの夕ご飯を作ってから、夜勤をして働きだした。

そんなおばあちゃんの背中を見て、私と母は「おばあちゃん応援団」を結成することにした。今まで育ててくれたおばあちゃんに恩返しがしたいと思ったのだ。母と話し合い、料理や洗濯などの家事を分担するようになった。

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ある日、キッチンからゴソゴソと音がしてみにいくとおじいちゃんが探し物をしていた。「出汁がどこにあるかわからなくて。知ってるか?」と一言。

今まで、キッチンにいるところを見たことがなかったおじいちゃんが料理をしていて、とてもびっくりした。「みんながやっているのに、俺だけやらないわけにはいかないだろ」とはにかみながらおじいちゃんは言った。

その日から、おじいちゃんも一緒におばあちゃんを助けるために家事をしてくれるようになり、応援団の一員となった。

おばあちゃんは一言も文句や、なにかをやってほしいと私たち家族に言ったことがなかった。でも、おばあちゃんの頑張っている姿をみて、私たち家族は一致団結し、絆がより深まった。

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そんなおばあちゃんは、今年で70歳。当時のことを振り返り「年齢や性別は関係ないの。ただやりたいことをやっただけ。家族は今も大切だけど、自分も大切なの」と言ったおばあちゃんは、今まで以上にキラキラしていた。

今になって、おばあちゃんが言った「強さ」の意味が少しずつわかってきたような気がする。諦めずに挑戦すること、自分の価値観を大切にすること、そして自分を大切にすること。それは、おばあちゃんが自分の背中を見せて、私に学ばせてくれたことだった。

「1人でも生きていける強さを身につけなさい」

この言葉はこれからもずっと忘れない。おばあちゃんが教えてくれたことは、将来生まれてきてくれた子供や孫にも伝えていきたいと思う。それが私ができるおばあちゃんへの恩返しだと思うから。