晴れも雨も、期間限定だから。雨にしか見られない景色を楽しもう

空気は冷え、頭が痛くなり、荷物や衣服が不快に濡れる。天気予報に傘マークがついているのを見るだけでも、気分が落ちる……。私にとって、雨は「悪い」天気でした。
とはいっても、幼い頃は別でした。お店でワクワクしながら選んだ傘を使える、特別な日だったのです。
けれど、大人になるにつれ、傘を使うことを面白いと思うことはなくなりました。通学や通勤に使うバスや電車の遅延に、頭を抱えるようになりました。雨は、お気に入りの傘の上で音を立てる楽しい存在ではなく、日常を面倒くさくするだけの存在になったのです。
そんな風になって久しかった私ですが、大人になってから、雨への捉え方がガラリと変わりました。前職で、庭の手入れをするようになったのがきっかけでした。
晴れの日の庭は過ごしやすく、暖かい空気に幸せな気持ちにもなります。毎日晴れていれば、毎日青空をバックに景色を楽しめるのに、とも思いました。けれど、晴れが続くと大変なこともある、と痛感することになったのです。それが、庭への水やりでした。
夏場が大変なのは、誰でも想像がつくでしょう。でも、冬場でも、晴れて乾燥する日が続くと、朝に水をやっても、午後にはカラカラに土が乾いてしまいます。同僚たちと、「もう、水あげないとダメだね」と話し合っては、太陽を恨めしく思うことすらありました。
一方で、雨の日はどうでしょう!
普段は人であふれる庭は静かになり、湿った空気のなかで、花も木々も、しっとりと輝き出します。じょうろやホースはいりません。私たちが何もしなくても、雨が、庭を美しくしてくれるのです。
冷たい雨の日、花びらの先に、凍りつかんばかりに輝く水滴を見つけた時には、庭全体に魔法がかかったように錯覚しました。晴れた日には決して見られない、美しい光景がそこにはありました。自然の芸術作品が、雨の日だけに現れるのです。
作業が楽になるばかりか、晴れた日よりもいっそう庭が美しくなる。雨って、何て「いい」天気なのだろうと思わずにはいられませんでした。いつしか、雨予報を見ると、私は少し嬉しくなるようになりました。
もちろん、通勤の大変さは変わりません。風が強ければ傘を差していても下半身が濡れ、電車やバスに乗れば、自分や他の人の濡れた傘で体が濡れる。水たまりに気づかずに靴を浸水させたり、鞄やコートがびしょびしょに濡れてしまったり、大変なことを挙げればきりがありません。
けれど、雨の日、人通りがほとんどなくなった庭を見ながら、私は思ったのです。雨の日の自然の美しさを、私たちは忘れているのかもしれない、と。混雑した道路や、いつもより人が多くなる電車といった、小さなストレスたちのせいで、つい、周囲の自然に目を向けることを私たちは忘れてしまいます。でも、少し周りを見渡せば、灰色の空の下でも輝く世界が広がっているのです。
だから、「梅雨なんてどこにも行けなくて嫌だ」なんて思わずに、「休みの日なのに雨だなんて」と言わずに、どうか外に出てみてほしいと私は思います。
花びらの上でキラキラ輝く水滴や、全てが洗い流されていくような清涼な空気。水たまりに映る枝葉や、それらに打ちつける雨音に耳を澄ませば、雨が生み出す特別な世界に浸ることができます。
そのことに気がついたら、きっと、雨の降る日が特別に感じられるでしょう。実際、天気は"期間限定"です。今日が晴れているからといって、明日も晴れだとは限りませんし、いつまでも雨が降り続けるわけでもありません。それなら、晴れも雨も同じように喜べば、日常がもっと輝くと私は思うのです。
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