また経験したいなら自分でやればいい。みんなで朝を待ったあの夜

今年28歳になる私にとって、徹夜は天敵となっている。
頭は働かなくなるし、次の日の身体のことを考えてしまう。
それにお酒もそこまで飲めなくなってきた。
言いたくはないが、もうアラサーの身体になってきているのかもしれない。
大学生の頃、徹夜しても動けていたのは、とにかく若かったからなのだなと感じるばかりだ。
あの頃は週2・3のペースで飲み会があった。
一次会は居酒屋で過ごし、終電がなくなったら先輩の家へ向かって二次会。
そして、始発を待つために朝まで他愛もない話をする。
最初はガヤガヤと話していた声も、寝る人が増えていく毎に小さくなっていく。
その囁き声を聴きながら、カーペットだけ敷いた床の上で雑魚寝するのも嫌いではなかった。
私が一番好きな徹夜は、サークルの合宿時だ。
昼間もたくさん動いて眠いはずなのに、宴会が始まれば眠気が吹き飛ぶ。
お酒を飲みながら各々が持ち寄ったボードゲームをしたり、ただ会話を楽しんだり。
普段あまり関わることのない先輩や後輩と話すことで、意外な共通点が見つかって仲良くなったりするものだ。
合宿のときも、少しずつ宴会場から人がいなくなっていく。
広い場所で数人集まって朝を待ちながら、ただ話をする。
昔観た映画の話、小さい頃に読んでいた漫画、大学でのこと。
それぞれ、思っていることをただ言葉にする。
そんな空間が私は好きだった。
少しずつ窓の外は白んでいき、周りの畑が太陽に照らされていく。
差し込む光が朝を知らせてくる。
もう夜が終わってしまったなぁ、と少し寂しくなって、何となく名残惜しくてお開きしづらいあの時間。
あれは人生においても幸せな時間だったのだなと思う。
朝が来るのが少し嫌だなと思うからこそ、夜が特別に思えたのだ。
今、私は徹夜をしなくなった。
コロナ禍以降は飲み会も月に1回程度だし、家でお酒を飲むことの楽しさも知ってしまった。
あとは、身体がついていかないのだ。
無理に徹夜をすると次の日は1日寝てしまい、何だか色々無駄な気持ちになる。
でも、たまにあの夜を思い出す。
みんなで他愛もない話をして、朝を待つ時間。
次の日のことなんて考えず、ただ今を楽しんでいた瞬間。
周りは結婚したり、子供が生まれたり、皆新たな人生の道を歩み始めている。
もう、あの時みたいなことは難しいんだろうな、と少し寂しくなる。
だが、今年は合宿みたいなことをしたいと思い、仲の良い人たちを集めてどこかに泊まることを計画している。
誰かと過ごす夜、どんなに楽しくても朝が来てしまうこと。
また経験したいと思うなら、自分でやればいいんだと。
もしかしたら、身体がキツくて徹夜は難しいかもしれない。
朝日に対して感じることは違うかもしれない。
でも、今の自分だからこそ味わえる朝がきっとあるはず。
そう信じて、私は夏の計画を進めているのだ。
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