青春というと夏なイメージがあるが、私にとっては冬も冬でなかなか思い出深い。
高校生の頃、女子サッカー部の練習が終わると、高校から駅までの10分の道のりを、途中肉まんを買って半分こにしながら、チームメイトと色々な話に花を咲かせた。

今年も誰も彼氏のいないクリスマス。でも、当然のように開かれるクリスマス会のお店を、中華がいいだの、しゃぶしゃぶにしようかだの、ピザ食べ放題が安いだの議論しながら、頭の片隅では交換するプレゼントの目星をつけていた。
そんな12月のいつもの帰り道だった。

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「ええ~Nちゃん、中学3年生までサンタさん信じてたの?!」
私の前を歩いていたチームメイトの素っ頓狂な声が響き渡る。Nちゃんは我らが女子サッカー部の部長である。
個性豊かでマイペースな私たち9人をゆるくまとめる、しっかり者で人格者。でも純粋でロマンチストなところがある。アンバランスでそこが魅力的だ。
「嘘でしょ」「なんてピュアなんだ」「お母さんお父さん頑張ったね」「純粋だわあ」とすぐに反応する他のメンバー。しかし、最初は賞賛する流れだったのに、少しずつ風向きが変わり始める。
「でもさすがにそれは純粋すぎ」「疑えよ少しは」「情弱なの?」「詐欺にあうタイプだね」と散々貶められる。うんうん、この容赦のない感じ、平常運転だ。

Nちゃんも反撃を始める。「子どもの夢を大切にしてくれる方針だったの!」などと開きなおり、「じゃあみんないつまで信じてたの?」と話を広げる。
「うーん小3かな」「確か10歳だったと思う」それぞれ振り返るメンバーたち。話の流れ的に次は私だ。

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「わたしね」と、ゆっくり話し始める。
「最初からサンタさんいなかった。私、最初からサンタさん信じてなかったんだ」と言う。
すると、ええ~、と本日の2回目の素っ頓狂な声が響き渡った。
「夢なさすぎ」「なんてドライなの」「可哀そう」と、またもや辛辣なご意見。信じすぎても貶められ、信じなくても貶められる。どないせっちゅうねん。

そう、私は最初からサンタさんを信じていなかった。それは5歳か6歳頃のクリスマスにもらった手紙の、クリスマス最初の記憶にさかのぼる。
「実はね……」と、憐憫の表情を浮かべているチームメイトに向けて、私は語りだした。

私が5歳か6歳の頃、両親は猛烈に忙しかった。コンピューター会社でシステムエンジニアとして働く父はプロジェクトマネージャーとして多忙を極め、助産師である母は姉と私を育てながら、夜勤までこなした。
しっかり者の姉といつも遊び、手伝いに来てくれる大好きな祖母やシッターさんが一緒にいてくれたため、寂しさを常に感じていたわけではない。けれど、一緒にいられるのが短い時間だったからこそ、大好きな父と母にべったりと甘えていた。
以前このエッセイ(「28年間のさまざまな『おやすみ』。明けない夜は一度だってなかった」)で紹介したように、毎晩寝る前の絵本の読み聞かせは、大切な家族の時間だった。

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そしてクリスマスがやってきた。朝起きてクリスマスツリーまで、姉とわれさきにと競うように走って向かう。
我が家のクリスマスツリーはなかなか立派なものだ。そのツリーの下にプレゼントを探す、探す、探しても……なにも見当たらない。
プレゼントはなかった。その代わりに、姉と私に向けた2通の手紙が置いてあった。不思議に思い、手紙を開くと中にはこう書いてあった。

「まよちゃんへ
おとうさんサンタとおかあさんサンタはおしごとがいそがしくて、プレゼントをよういできませんでした。ごめんね。こんどいっしょにかいにいこうね。
おとうさんサンタ、おかあさんサンタより」

5歳か6歳の私でも読みやすいように、全部ひらがなで書かれた手紙。それを読んで幼い私は理解した。
サンタさんは父と母なのだ、と。プレゼントを用意できないほど忙しかったのだ、それは仕方がない、と。
そして、娘たちの反応を窺っていた父と母の下に姉と駆け寄り、プレゼントをクリスマス当日にもらえなかったことなど全く気にしていないかのように、明るく無邪気に振る舞った。
心のどこかでは少し落胆していたのかもしれない。しかし、落胆している姿を父と母に見せたら悲しませてしまうかもしれない、と思いを馳せるほどには、幼い姉と私はすでに大人だったのだ。

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この話には後日談がある。

周囲の皆がサンタさんの正体に気が付いた中学生の頃、学校でサンタさんの話が出たため、家に帰って母にその話をしたことがある。
「みんなやっと気が付いたよ~。私なんて5歳くらいのときにあの手紙でサンタ幻想ぶち壊されたのにね~」と、冗談のつもりで軽いノリで母に伝えた。
すると母は目をうるませ、申し訳なさそうに、「私たちが忙しくて、まよたちには本当に寂しい思いをさせたんね……。本当にごめんね」と呟いた。
笑い話になると思っていた私は慌てて、「いや!サンタさんを信じている周りに合わせて、『サンタさんはいるよね』っていう優しい嘘をつけるほど大人になれたし、いい経験だよ!」と意味の分からないフォローをした。
本当は、いつも一緒にいる時間が短いからこそ、みんなで笑い合えるあの時間こそが一番のクリスマスプレゼントだったと、もうそのときは気が付いていたのに。そう伝えれば良かったのに、思春期で少し反抗期だった私はそれを言葉に出すことができなかった。

こんな話をチームメイトにしたら、いつの間にか学校から駅に着いていた。結構長い話だったのに、いつもの野次やら貶めやらの声は出なかった。
駅で解散する。一人で電車に乗る。クリスマス会の幹事である私はもう一度、中華にしようか、しゃぶしゃぶにしようか、ピザ食べ放題にしようか、どんなプレゼントにしようか考え始める。
このメンバーでクリスマス会で集まれば、きっとどこでも最高のクリスマスなのだろうと、頭のどこかで確信しながら。