距離を置いても、どんな道を選んでも、ばかばかしくて憎めない恋人

これはどうしようもないどこにでもいる普通の高校生男子の思い出の話だ。
その人は高校2年の秋に人生初の彼女ができた。いつも笑顔で、ダメなことはダメだという真っ直ぐなところを好きになったらしい。その彼女が私だった。
私達は、周りがしているように毎日LINEでおはようを言い合うだとか、一緒に手を繋いで歩くとかはほとんどなかった。お互い比較的サバサバしていたせいもあるだろうが、まだ付き合いたてで距離感を図っていたのもあると思う。
そして、高校3年生になった。受験生でお互い勉強漬けの毎日になった。同じクラスの他のカップルは受験を理由に別れていた。私達は、少なくとも私は、何も思わなかったわけではないけれど、恋愛に溺れて勉強がおろそかになることはないと判断して別れることは考えなかった。
それでも少し、何も進展させる気のなさそうな彼を見て、彼が何を考えているのか、本当に好きでいてくれているのかよく分からなくなる時もあった。でも、はっきりと単刀直入に聞けるほどの勇気も信頼関係も、私達にはなかった。
そんな梅雨のある日、私は傘を忘れた。外は傘がなくてもギリギリなんとかなりそうな天気だった。駅まで走っていると、途中で彼に会った。彼は大きな黒い傘に私を入れてくれた。私にとってはそれだけの話だった。確かに傘に入れてくれたのは有り難かったけれど、裏を返せば、知り合いが雨に打たれているところに遭遇して傘に入れない方が薄情で珍しい気がする。ましてやそれが恋人ならば。
でも、彼にとってこの日は私とは少し違う意味で、それも強く記憶に残っているらしい。付き合って4年が経った頃、唐突に、聞かれたのだ。
「高校生の時、花柄の下着持ってなかった?」
問い詰めると、曰く、あの雨の日に制服のブラウスに下着が透けてしまっていたらしいのだ。私は呆れた。そんなことをずっと覚えていたなんてと。
でも、同時にバカバカしくて安心もした。彼がいかにもアニメなどでよく見る、女子に過敏な年頃の男の子と同じに思えたからだった。普段何を考えているのか分からないクールでサバサバした彼が、透けた下着に一喜一憂しているのが、バカバカしくて、子どもっぽくて、愛おしかった。そして、それを言えるくらいの関係になれたことを感慨深く思った。あの時17歳だった私達は、21歳になった。
今は色々あって距離を置くことを選んだけれど、これからだってどんな道を選んだとしても、私はこんなどうしようもない人をバカだなとは思えど、憎むことはできないのだろう。
母もよく言っている。男は単純でバカな子どもなのだと。それが悪口ではないのを私は知っている。
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