私が好きだった人、それは中学の吹奏楽の先生。

私の青春が中学の頃に詰まっているので、10年も前の事になるがずっと心に残っている。
そんな好きだった人の話をしようとおもう。

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私は中学生の頃吹奏楽部に所属していた。

パートはサックスを希望していたが人気すぎて、途中からクラリネットへ移動になった。

1人スタートが遅れて焦っていた中、クラリネットの人数が少なかった為、2、3年生だけが出るコンクールにクラリネットパートの1年生がオーディションで1人出ることになった。

見事私はオーディションを勝ち抜き2、3年生の中に混じりコンクールに出場したのだ。

このお陰で周りよりも先輩との合奏の回数が多く交流も多くなった。
顧問の先生とも色々話す機会が増えた。

この頃はまだ顧問の先生が好き!!という感情は無かった、ただただ、うるさい厳しい先生だなあという印象だ(顧問を嫌っている生徒も多かった)。

そこからしばらく経った頃、私は部活中などによく腰を痛め、歩けないほどの痛みで先生におぶってもらい、保健室に連れていってもらうことが何回かあった。
そこから先生が私の腰を気にかけてくれるようになり、より話すことが増えた。

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中学の頃は恥ずかしながら、かなりのいわゆる陰キャ、引っ込み思案なキャラだったのだが、この先生の前では普段の明るい私で居られるようになっていた。

部活が休みの日でも私は自主練をしたくて部室を開けてもらったり、朝皆より早く学校に行って鍵を貰い練習したりしていたので、そういう所で評価もしてくれていたし、他の人とは少し違う対応だったなと感じていた。

クラリネットというパートは吹奏楽の中で1番前に座るので、1番近くで先生の指揮を見れていた事も、とても優越感だった、と今なら言える。笑

そういう日々を繰り返し、私の中学の青春は吹奏楽と先生に会う楽しみでほぼ成り立っていたのだ。

クラリネットパートは特に練習熱心だった為、パートごとのアンサンブルコンクールでも金賞を取り、県代表になることが出来た。
自分の中学では金を取りクラリネットで県代表になるのは初めてだった。

そういう事もあり先生もクラリネットパートには特別な思い入れがあったようで、何かと厳しかったし、優しくもあった。

先生と皆で過ごした日々も、合奏で厳しく指導され沢山泣いた事も、沢山がんばって挑んだコンクールで銀賞ですごく悔しかったことも、次のコンクール金賞取れて初めて嬉し泣きしたことも。 全てが先生あってこその思い出で、あの先生では無い吹奏楽ならここまで思い入れは無かったのかもしれない。

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あの頃は苦しくてたまらなかったように感じたのに、こうして思い返すと涙が出てきそうなくらい青くて恋しくてたまらない過去なのだ。
今思い返せばちゃんと初めてバレンタインをあげたのもその顧問の先生だった。
どこをどう切りとっても青春なのだ。

先生の振る指揮でもう一度、大人数で合奏がしたいなあ、大人になってもたまに思い返しそう思うのである。

この中学の吹奏楽の思い出、先生との会話、ずっと私の心の中で青春の思い出として残り続けるのだろう。

私の好きだった人、大切な時間を共に過ごした人、10年以上たった今でもこの思い出がたまに私に活力をくれる。
今先生はどこで誰に音楽を教えているのかなあ。