実家に帰らないの?と言われても、私はこの街での暮らしを愛してる

地元を出て、もう7年と少し経った。なんやかんや生きていける、と思う自分と、生きるのがあまりにも下手くそだと思う自分がいる。
今住んでいる場所は、私にとって3つ目の家だ。18年住んだ実家、2年住んだアパート、そしてこの家。もう5年ほどになる。ここに住み始めたのは大学生のころ。ちょうど引っ越した途端にパンデミックが始まった。ようやくこの街のことを知り始めたのは、引っ越して2年以上が過ぎた頃だった。
大学を卒業できなかった上、社会人として生きることにもことごとく失敗した。精神疾患があるし、発達障害もある。なんとか生きていく光明を見出したのは、ずいぶん最近のことだ。
なんで実家に帰らないの?
そう言われたって当然だと思う。なにせ1Kのこの部屋は、2LDKに2台分の駐車場まである実家よりも家賃が高い。それでも私はこの街に住み続けている。お金の余裕はないが不満もない。なんなら私は、だいぶ、この街が好きだ。
まず、この街には大きな川がある。私の地元にも大きな川があった。長くて立派な橋がかかり、たっぷりと水が流れて水鳥もいる。ひとつ前に住んだ街にも川はあったが、ほとんど枯れていると言って差し支えない、5歩で渡れるようなちいさな橋の掛かった川だったので、橋を渡るたびになんだか悲しかった。この街に引っ越すと決めた時、豊かな川があると知って嬉しかったのをよく覚えている。
この街の川は地元とは違う。地元の川が山に近い川だとしたら、ここは海に近い川だ。しょっぱい匂いがするし、漁船が浮いている。水鳥もカモメだ。そんな川べりを歩いて、季節の花を眺めたりなんかしていると、なんだかこの街に住んでよかったな、と思う。
それからこの街では、たくさんの人が歩いている。地元は山がちな田舎で、徒歩5分の距離ですらみんな車に乗るようなところだった。歩道の整備も良いとは言えず、歩いているだけで目立つ。次に住んだ街は、自転車の多い街だった。公共交通が、最悪ではないが良くもなかった。
実際、私の家から4キロ離れたバイト先まで行く手段が自転車しかなかった。その街の多くの住人同様、私も漏れなく自転車に乗り、たまに細い道で、老人のどうして自立できているか不思議なくらいの速度で走る自転車に前を塞がれ、前カゴに入れたスーパーの袋に鳥の糞を落とされたりした。
この街に住み始めて2年ほどで、自転車を手放した。バスと電車と徒歩で生きていける。ここはそういう街だ。
細い路地に入ると落書きが多い。ホームレスの人が横になっている道もある。それでも、なんだか穏やかな感じがする。ホームレスが段ボールの上に寝そべる道の横にはツツジの咲き乱れる公園があって、保育園の外遊びの場所になっている。右にはしゃぐ子供、左に眠るホームレス。その脇を通れば、彼らが耳元に置いて聞いているラジオの音が聞こえる。コロナ禍で人気のない道をマスクをして歩いていたときに、三輪の自転車に山盛り缶を積んだ老人と、その隣を歩く老人が、マスクをせずにカップ酒を飲んで喋っているのを見た時、無性にいいなと思った。
彼らが集めた缶を丁寧に一つ一つ潰し直しているのを見かけたこともある。詳しいわけでは無いけれども、少なくともこの街で見かけるそういう人たちは、案外秩序のある暮らしを送っているように見える。
この街には産業道路があり、電車もたくさん通っている。夜遅くても、どこかで人の営みの音がする。そのことが救いになる夜がある。
大きなお寺もある。団地みたいに並んだ墓の群々の裏手に、生きた人間の団地がある。
そしてなぜだかこの街には植物が多い。街路樹もやけに豊かな上、プランターやら鉢やらが庭を埋めている家がたくさんある。
そんな風景を、数年掛けて知った。治安の悪い街だと言われることもあるが、私のここでの暮らしは、なんだか心安らかだ。
以前、中国人の知人が、田舎に憧れがあると教えてくれた。曰く、彼は都会育ち。反対に私は田舎より都会に憧れてしまう。18年も田舎で暮らしたんだから十分だ。だけど、都会すぎたらそれはそれで息苦しい。そんな私にはこの街はちょうどいい。
彼との話の中で、私はこう言った。18年田舎で家族と暮らし、これから18年都会でひとり暮らしをするとして、そうして36歳になる頃には、きっとまた何か見えるものがあるかもしれない、と。
未来のことは分からない。安らかさを捨てて、何かを求める日が来るのかもしれない。でも、この街に住んで、私は街を愛することを知った気がしている。
だから、思う。
いつかまた別の街に住むのなら、私はその街を心から好きだと言いたい。
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