朝が来るまで2人で1万歩歩いた、深夜散歩の日々が、終わった

私はここ半年、夜通し散歩することが日課だった。地図は見ず、「あっち面白そうじゃない?」「こっちは薄暗くて怖いからやめよう」と直感を頼りにひたすら歩く。
深夜0時に歩き始めて、ひたすら2人で話しながら朝5時まで歩き通した日もある。次の日の朝を生きるランニング中のおじいさんとすれ違い、昨日と今日の狭間を感じた。
それは、恋だったと思う。その人(おじいさんではなく、一緒に散歩をしていた人)は、半年前に会社に転職してきた人で、家がたまたま徒歩5分ほどの距離にあった。
最初はただ、かっこいいなぁという印象だけあって、恋愛的に好きという目で見ていたつもりはなかったが、気が付けば性格にも惹かれ、一緒にいたいと思うようになっていた。
その人との深夜の散歩は、毎回大きな出来事こそないが、小さな発見と喜びの連続だった。
商店街を歩けば、昼間は華やかな店構えに隠れて見えていなかった窓があることを発見して少し感動したり、不思議な遊具のある公園を家のすぐそばに見つけたときには、子供たちはここで一体どんな遊びをしているのだろうかと想像を膨らませたりした。
登ったらすぐ行き止まりの謎の階段を見つけたときには、パシャリパシャリと写真に収めながら歩き続けた。数駅離れた大きな公園まで片道40分かけて歩くのも、疲れよりも楽しさが勝った。
ある時は、夕方からその人を含めた複数人でご飯に行ったが、2人で話し足りなかった私は、いつも別れる街角で散歩に誘った。
そうして片道1時間かかる水族館まで、深夜の旅がスタートした。
しかし1時間ほど歩くと、2人してスマホの充電が切れ、方向がわからなくなってしまった。とりあえず帰宅しよう、となり、道路の看板を頼りにひたすら歩き続けた。
そして、勘や経験則を頼りにひたすら歩き続け、夜明け頃にやっっといつもの見覚えのある街並みにたどり着いたときは感動した。
少しおなかがへっていたので、コンビニでコロッケを買って2人で食べた。あんなに美味しいコロッケは初めてだった。
そんな日々を半年続けていたわけだが、私の胸の中でむなしさが芽生え始めた。
それは、何度2人でご飯に行き、休みの日に何時間も散歩をしようが、その人が私を恋愛対象としてみている片鱗がみられなかったからだ。
それならばこちらから手をつないで、異性として見ていることをアピールして意識させてやる!と意気込んだこともあったが、何度試みても勇気が出なかった。
そこまでは、私は心の赴くままに積極的に行動ができていた。「今週中に駅まで一緒に帰る」「LINEを交換する」「家まで30分弱の道のりを一緒に帰る」「休日に誘って2人でご飯に行く」といった目標を友人に宣言する度に、1週間以内に次々と達成していた。しかし、明らかにこちらが異性としてみていることを伝える「手をつなぐ」という行為は勇気が出なかった。
次第に私の中で、その人への熱く燃えていた好意は、心や体に馴染んだ温度になってきた。その人の、世界を心から優しい角度で見ている人の良さや、人の感情に敏感で、1モヤも大切にする性格が相変わらず好きだし、そこは揺るがなかった。
ただ、あの頃の「会いたい」という純粋な気持ちではなく、この関係性が終わってしまうことを食い止めるために誘うことが多くなってきた。私の中で、好意が執着心に変化してきた。頻繁に散歩に出かけていた頃は、2日に1回は誘って会っていた。けれど、恋人になることを望んでしまった私にとって、これからも同じように散歩し続けることは虚無の時間を過ごすことに等しかった。
さらに追い打ちをかけたのは、私が好意を伝えても何も反応を示さなかったことだった。ある日の帰り道、いつもの曲がり角で立ち話をしていた。その会話の中で私は、好きだと伝えた。人としても好きだし、異性として好意を寄せていることは相手にも伝わったように思う。しかしその勇気を出した告白はあっけなく流れ、その日もその次の日も、その人の私への態度は変わらなかった。
それを機に私は、散歩に誘うのをやめた。
ただ、数か月前、2人で行こうと話していた展示会があった。私はそれを最後にしようと決め、2人で遠出した。楽しく電車に乗って一緒にご飯も食べ、いつものように話し込んで良い思い出になった。
夜中から始まり、朝が来るまで1万歩歩いた日々。
次の日を走るおじいさんと昨日のままの私たちがすれ違うことはもうないのかもしれない。
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