この先、どこで生きていく?

私の答えは単純だ。生きられるところで生きていく。

でも、これは投げやりな意味では決してない。たどり着いた先を私の生きる場所にしたいと思うのだ。

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もともと惰性で生きてきた。なんとなく進学した高校を卒業し、高校と近い大学に入った。周りに合わせて就活を始めて、深く考えずに1番に内定を貰えた会社に入社した。1年半で退職して今は無職だ。

なんとなく生きていく、世間はそれを許さない。
目標を持ちなさい。夢があると良い。ロールモデルを見つけなさい。
私たちみたいな年代はバリキャリか、良妻賢母か、はたまたどっちもできる超人の型紙を無理やり当てられてその形に裁断されてきた。
はみ出した部分は社会不適合として切り落とされ、足りない部分は協調性の欠如として非難されてきた。

その結果、流されるままに辿り着いた先、そこはこども部屋だった。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、会社を経て、最後は自分のちいさな部屋に帰ってきて、引きこもっている。

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そんな私はいま、どこに行きたいのだろう。
私の世界はまだまだ小さい。この世界の外側にはきっと、「どこか」がある。そこに住みたいとは思わないけれど、行って触って感じてみたいものはある、はずだ。そしてそれは1秒前の私には思いつきもしないものばかりなのだろう。
思いつかないということは知らないのだ。知らないものは可能性でできている。
私は気分屋だから、5分後には全く違うことに興味が向いている。それがいいと思っていて、そうありたいとも思っている。

いろんなものにワクワクして常に心が動かされる人生でありたい。
目標のある未来もないし、人生計画なんてないけれど、1分、1秒、ちょっと先の自分が目を輝かせて夢中になれるものに出会えるなら、それが良い。だから、素敵なものを追いかけていった先で素敵なものに出会えたらそれが1番だと思う。

今の私には全く未来がわからないけど、きっと1秒後の私が私の好きなものを見つけてくれる。そしてそれをまっすぐに追いかけていった先で、またきっと新しいものに出会える。

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私の居場所は私が「生きられる」ところだ。ぼんやり流されている私も好きだったけれど、流れ着いた先がハワイならシロクマは生きられない。海の底のサボテンに花は咲かない。
いろんなものをすぐに好きになれる、そんな私の方がもっと好きだから。私の北極や砂漠はきっと好きなものの先にある、そう信じている。

まずは小さな部屋のドアを開けるところから始めたい。やりたいことが思いつくまで、知らないことを知っていきたい。
心がワクワクする方向に進んだ先が、私の行きたい「どこか」なのだと思うから。