たまたたま選んだはずの仕事を好きになりすぎてしまい、感じる危険

私にとって、会社はどんな存在なのだろうか。
大学に進学してごく当たり前に就活して、会社員になった。おそらく多くの人と同じ道だろう。会社に入ったのは、ただただ生きるのに必要なお金を稼ぐためだったはずだ。
正直に言えば、内定をもらった会社に特別な思い入れもないし、今だってそのお仕事を特別好きになった訳でもない。
それでも、無理してまでお仕事を頑張ってしまったり、ストレスの原因の一番だったりするのはどうしてなのだろうか。
私のお仕事はシステムエンジニアで別に特別なものではない。
もともと大学は法学部だったので文系からの就職に驚かれることもあるが、大手でもなければ同期の半分くらいは文系だし、特殊な人だと声楽科卒業なんていう面白い学歴の人だっている。それくらい、新卒で入社する時点での知識なんて期待されていないのだ。
では、何を期待されているかといえば、それは自分で情報を探して問題を解決していく力や意志だと思う。プログラムを書く上でぶつかるたいていのエラーは、物好きな誰かが調べてネットにまとめている。私のやることは、そういう文献を調べて理解して取り入れることだけだ。
何度もぶつかったエラーならちょっとずつでも記憶に残るし、調べ方が分かってくれば正解を見つけるまでの時間も短くなる。そうやって、ちょっとずつお仕事をすることが楽しくなるのは良いことだと思う。
でも、私は楽しくなりすぎたり、忙しくなるとお仕事とプライベートの境目がなくなってしまう。行き帰りの電車の中でも解決策を探してしまったり、プライベートの時間も勉強に充てていつからかストレスになってしまったり。
お仕事が成功すれば嬉しいし、一度でも誰かに感謝されたり褒められたりすると、またその言葉が欲しくて無理してしまったりする。成果になれば出世できるかもしれないし、お給与も上がるかもしれない。
それに会社だって社会だって、自主的に成長することや勉強することを推奨している。自主的に、会社のためなのか自分のためなのかが曖昧な部分は、決して悪いことはしていない分、無理しないことは難しい。私はそうやってどんどん自分を追い込んでしまった。
どんなにお仕事を頑張っても一日の時間は増えたりしなかったし、いつも不安でイライラしていた。なんとなく選んだはずのお仕事がどんどん自分の時間を塗り替えていく。それは決して望んだことではないはずなのだ。
好き嫌いは変化するものだし、その変化は成長だとも思う。たまたま選んだだけのお仕事が大好きになるのは素敵なことだ。
でも、たくさんの人と進めていくお仕事を好きになりすぎるのはちょっとだけ危険だと今は思う。いろんな状態で自分の意志とは違うこと苦手なことをしないといけないこともあるし、あくまでも会社のための役割である以上、頑張りが必ず褒めてもらえるわけでもない。
求められる自分の役割を満たしているのか自問しながら、無理してまで頑張りすぎない距離を見極めたい。
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