私には、もう一度会いたい人がいる。

私は、いま、25歳であるが、この25年もの間、私の成長を身内の人をはじめとするいろいろな人が見守ってくれたり、支えてくれたりした。感謝の思いをこの場で伝えたい。

保育園のときに、「一緒に好きなラーメンを食べに行こう」といってくれた保育園の先生や、小学校でお世話になった学童の先生、中学校高校で仲良かった親友、高校で進路が決まるまで見守ってくれた恩師等、色々な人が挙がっている。

私は、その中で、大学で出会った先生について話したいと思う。

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大学では講義というよりかは大学内のカウンセラーをしている方だった。元々は、小学校から高校で保健室の先生をした経験がある。今は、先生を辞めて、私の通っている大学と他の大学で働いているとのことだった。

私がその先生に会ったのは、大学3年生のときだった。その時は親身になって私の話を聞いてくれた。その後は、足を運ぶことはなかったが、進路が決まるまでに合間があった大学4年生の夏に、久しぶりに話をしたことから先生と話す時間が多くなった。

進路が無事に決まる時には大学を卒業する時期に入ったため、その後に会うことはなかったが、2月のバレンタインデーで今までお話を聞いてくれたことの御礼としてチョコをあげたところ、次にまた会って食事に行こうと先生から約束された。

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最初は、「社会人1年目だし、行かなくてもいいか」と思っていたが、仕事がたまたま学校の先生という共通のことをしていた為、仕事の愚痴も久しぶりに話をするがてら、食事に誘ってもらった。

その後、何回かお会いすることもあったが、お互いに忙しくなっていた為、お話しすることも少なくなった。

その時期に、仕事を休んだ。

休んでいる間も、実は電話とショートメールという手段ではあるが連絡をとっていた。仕事復帰に向けて頑張るつもりではあったが、仕事に復帰するのにも時間に余裕を持って相談しなければいけないことが発覚したため、復帰することはなくなり、退職して新しい仕事に転職することになった。

それまでにも、多くの時間と体力が必要だったため、立ち上がるのがやっとできたところだった。

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ここまで話してきた、大学でお世話になった先生に久しぶりにまた会いたい。

その時に、今まで仕事を休んでいる間にしていたことや前の仕事のこともそうだが、何より先生との会話で励まされていたことに感謝したいと思う。

あの病気で倒れてしまった時期に、自分の心と体を犠牲にした働き方をしていたこともまとめて伝えたい。

私は、2年間もの期間、学校の先生のとき、ずっと先生に食事を奢って貰っていたので、次は仕事に無事に就いたことから私が食事を奢るように頑張っていこうと思う。

本当に人に甘やかされて生きてきた人は、「人に気遣うようにしなさい」といわれていても実際にその場でやろうとしないと分からないものなんだと思った。仕事に転職することも同様に、人と共に生きることを学んだ。