5日じゃなくて1日がいい。リモートワークをする会社員のとある1日

8時半に目覚め、部屋唯一の大窓を覆っていたカーテンを目いっぱい開ける。朝日はしっかりと昇っていて、温かな日差しが静かに頬を温める。
台所の棚から、近所の食品セレクトショップで手に入れた黒ゴマの入った袋を取り出して開封する。大匙2杯すくってコップに入れ、そこに牛乳をたっぷり注いだ。ティースプーンでカラカラとゆっくりコップの中をかき混ぜる。混ざり切った黒ゴマラテを飲みながら、冷蔵庫から取り出した苺とブルーベリーを食べた。
時刻は9時15分。
通勤バッグの横に立てかけてあったパソコンをウェットティッシュで丁寧に拭き、起動させた。その合間に社用携帯で職場の先輩方にチャットを送る。
「今日もよろしくお願いします」
時計の針はちょうど始業時刻の9時半を指していた。
メールボックスを開いて今日やるべきことを確認すると、大抵エクセルの表にデータを打ち込む作業なんかが入っている。
早速私用携帯にインストールされているスポティファイをクリックし、今日の気分でラジオや音楽をかける。音楽に合わせて体を揺らしたり、ふんふんと鼻歌交じりにタイピングをする。
12時半になった。先輩方にチャットで休憩をとることを伝え、昼食をとる。
作業を再開する。
なんやかんやで一生懸命仕事に励む。
時計の針は、気づけば終業時刻の17時半を指していた。
勢いよくパソコンを閉じて、夕飯づくりにとりかかる。前日に買い込んでいたトマトやパプリカ、ひき肉を使ってちょっと凝った料理を作る。
のんびりテレビを観ながら夕飯をとり、明日に備えて23時頃には就寝する。
私のリモートワークは大概このように始まり、このように終わる。
振り返ってみるともう新卒として入社してから2年が経っていた。コロナ禍の名残か、基本的に週1回はリモートワークをすることが認められている今の環境は存外自分に合っているように感じる。
「私週5日リモートだよ」
「週2日出社だけど後はリモートかな」
「私は週1日リモートだ」
「羨ましいなあ」
定期的に繰り広げられる友人とのリモートワーク回数論争は、いつも私のぼろ負け感が否めないけれど。
それでも週にたった1日だけ訪れる就業前支度はとても満ち足りた時間で、例えば、週に5日同じような朝を過ごしていたらこうは感じないのではないか。これは、たった1日という貴重性によってもたらされた充足感なのではないか。
そんなことを考える。
大体、緊急事態宣言が出されたあの日々を思い出してみると、そもそも私はずっと家に籠っていることが性に合わなかったのだった。
特に大学生でこれと言ってやることがなかったからと言うのもあるが、それにしたって、家族以外と対面で話すことができない状況は窮屈だったし、孤独だった。
週1日しかないリモートワークですらたまに心細くなることがある。
先輩方とはチャットで繋がっているけれど、口頭で伝えれば柔らかく聞こえるであろうニュアンスは文字だとどの程度相手に伝わっているのだろうか、だとか、今日こんなに仕事がないけれどもしかして社内の人がその分忙しくなっているのではないだろうか、だとか。
ふとした瞬間にだとかが積み重なって、不安感がふつふつと膨らむ。非常に心細い。
この漠然とした落ち着かなさは、一人暮らしをしていることも関係しているかもしれなかった。当たり前の事実だけれど、油断すればリモートワークの日は一度も人と会話をしないことになる。小さな部屋で、小さく収まって仕事をすると、気づけばどんどん世界が狭まっていく感じがする。
パソコンを開けば世界の果てまでも繋がっていけるはずなのに。
リモートワークは好きだ。これからもなくてはならない。そう自信を持って言える。
ただし、週1日だけ。
どうしたってこの言葉は付け足さざるを得ない。そんな気がする今日の私である。
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